コラム

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2010/05/12

Nr.31 ドイツ語圏 (19) スイスのドイツ語 (6)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


スイス・ドイツ語(Schweizerdeutsch),およびその影響をうけたスイスの標準ドイツ語(Schweizer Hochdeutsch)について,まとまりのないおしゃべりをしてきましたが,今回はそのおしゃべりに一応けりをつけましょう。

私の手元に,スイスの若い男性が,自国の兵役制度についてスイスの標準ドイツ語で説明している録音テープがあります。スイスは永世中立国として有名ですが,その反面,外国からの侵略に対抗して独立を守るための強力な国防軍を持っていて,スイス国籍のすべての男性には兵役義務があります。これも面白いテーマですが,ここでは深入りはしないことにして,スイスの標準ドイツ語の発音に及ぼすスイス・ドイツ語の影響について,録音テープを手がかりに簡単にお話しすることにします。

標準ドイツ語では語頭の st, sp が[シュト],[シュプ]と発音されることはご存知のとおりで,たとえば stehen, sprechen は[シューエン],[シュプッヒェン]です。ところがスイス・ドイツ語では語頭だけでなく,語中でも語末でも st,sp は[シュト],[シュプ]と発音されます。ジャガイモ料理の Rösti をご紹介したとき,この語の中の st が,語中であるにもかかわらず[シュト]と発音され,Röschti,または Rööschti と表記するほうが実際の発音に近いことを申し上げました。今回はさらに Poscht(=Post 「郵便局」),Wäschpi(=Wespe 「スズメバチ」)という例語を付け加えておきましょう。もちろん書き言葉,つまり標準ドイツ語では Post[スト],Wespe[ェスペ]です。しかし標準ドイツ語に切り替えた後もふだんの癖が出て,[シュト],[ェシュぺ],さらに gestern「昨日」を[シュテルン],erst「最初の」を[ールシュト]などと言ってしまいがちです。

標準発音と違って,スイス・ドイツ語はいわゆる声門閉鎖音を持たないとされています*。声門閉鎖音(または咽頭閉鎖音)については オーストリア(11) で詳しくお話ししましたので,ここでは繰り返しません。私の持っている音声資料では,erobern という動詞が出てきます。これは er + obern と分解され,標準発音では声門閉鎖を伴って[エア・ーベルン]または[エア・ーバーン]となるところですが,「Hochdeutsch(標準ドイツ語)で話す」と最初に断っているのにもかかわらず,私の音声資料の男性は声門閉鎖抜きで発音していて,そのため全体は[エーベルン]と聞こえます。r の発音も,舌先をふるわせて出すいわゆる Zungen-R です。

スイス・ドイツ語の際立った特徴として,標準ドイツ語の語頭音 k が,ch[x]となっていることが挙げられます。たとえば標準語の Kind はスイス・ドイツ語では Chind,Kalb は Chalb となります。これについては,後で南のドイツ語と北のドイツ語を対比するときに,また詳しくお話ししますが,スイスの人が標準ドイツ語を話すときも,この影響で Kind,Kalb の語頭音にのどの奥の息のかすれ音, いわゆる Ach-Laut がかぶさり,ほとんど Kchind,Kchalb に近く聞こえます。

スイスの人々のドイツ語を聞いていると,ときどき,明治時代の日本人が学校で習ったドイツ語はこうだったのではなかろうかと想像したくなることがあります。現代の標準ドイツ語では,語末の -er はふつう母音化され,たとえば詩人の Schiller は[ラー],aber は[ーバー],oder は[ーダー]と発音されます。しかしスイスの人が話す標準ドイツ語では,ふつうこの母音化が行われません。つまり Schiller[ッレル],aber[ーベル],oder[ーデル]という発音になります。r は全部,Zungen-R です。私が持っている録音からも,und so weiter[ント・ー・ァイテル],jeder Schweizer[ェーデル・シュァイツェル]等,明治時代の翻訳や初期のドイツ語学習参考書に見られた発音,旧制高等学校の教室の窓から響いてきたであろうような発音が聞こえてきて,郷愁をそそられます。

これらすべてがあいまって,スイス・ドイツ語の色彩が濃いスイスの標準ドイツ語が生まれます。我々外国人に対してスイスの人々が話してくれるのはこの「標準ドイツ語」です。 このおしゃべりの第1回 で私の初めてのスイス・ドイツ語との接触についてお話ししましたが,そこで出てきたスイスの人のドイツ語も,純粋の Schweizerdeutsch ではなく,ご本人は標準ドイツ語で話しているつもりだったのかもしれません。

とは言えスイスの人々が話すドイツ語は,スイス方言はもちろん,「標準ドイツ語」にしても,ドイツの人々の耳にとってあまり快く響かないようで,次の引用からもわかるように,半分冗談で,というのは半分本気で,悪口を言うドイツ人もいます: In den Ohren von Ausländern klingen alle (=alle schweizer Dialekte) schrecklich. In den kehligen Lauten der alpenländischen Dialekte hat sich sehr viel von der mittelalterlichen Sprache etwa eines Walter von der Vogelweide, des sogenannten Mittelhochdeutschen, bewahrt. In Deutschland sagt man jedoch, das Schweizerische sei keine Sprache, sondern eine Halskrankheit.「外国人の耳には,すべて(=スイス・ドイツ語のすべての方言)は,不快な響きを持つものである。のどの奥で出されるアルプス地方の音の中には,たとえばワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデのような人が語っていた中世の言葉,いわゆる中高ドイツ語の面影が非常に多く残されている。とはいえドイツでは,スイス・ドイツ語は言語ではない,のどの病気だと言われるのである」**。kehlige Laute というのは,[k],[g],[x]など,のどの奥で出される音の総称です。詰まった痰をのどの奥で,息だけで切ろうとするときのような[クハッ]という 音,舌を振るわせて出す r,強い摩擦を伴って出される[ス]とか[ツ]とか[シュ]… スイスの人々のドイツ語を聞いていると,たしかにこれらの音が耳につきます。いつだったか,チューリヒ行きの列車の中で,スイス人団体客の真っ只中に乗り合わせ,陽気にさわぐおじさん,おばさんの kehlige Laute をいやというほど聞かされて閉口したことがあります。上の悪口が記されていた章の見出しは „Durch eine gemeinsame Sprache getrennt“「共通の言葉によってへだてられて」でした。ドイツとスイスを結合するものと考えられている共通の言語が,実は両国を隔てる要因になっているというほどの意味でしょう。とは言え中世の大詩人ワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも語っていた由緒正しい言葉を,「のどの病気 / 炎症 / 疾患」と決め付けるのはひどい話で,そんなことを言うのなら,ドイツ本国のドイツ語だって,突っ込まれ,からかわれる弱みがないわけではありません。まあ,こういう悪口の応酬は,相互の了解と好意とを前提とする一種の遊び,社交遊戯ですから,まともに腹を立てるのは野暮なのかもしれません。

言語社会学の用語でダイグロシア(diglossia)というのがあります。アメリカの言語学者が最初に取り上げたテーマなので,英語風の読み方をしますが,ドイツ語ではつづりがすこし変わって Diglossie,発音は[ディグロィー]です。大独和辞典(小学館)の説明によると,「二言語兼用(スイスのドイツ語地域における標準ドイツ語とスイス・ドイツ語の関係のように周囲の状況によって二言語を使い分けること)」ということです。ドイツ語のこの二つのヴァリエーションのスイスにおける相補的使い分けに関しては,文法,語彙,使用領域など,個別にわたる詳しい研究がありますが,今回ざっと見たとおり,少なくとも発音に関しては,状況に応じて二つのドイツ語をきれいに使い分けられる人はやはりまれで,一般のスイス人の話す標準ドイツ語からは,程度の差こそあれ,Alphorn「アルペンホルン」の響きが聞こえるような気がします。

さきほど,スイスの団体客と同じ車両に乗り合わせ,のどの奥からしぼり出すような発声に悩まされたと言いましたが,その反面,今までで私の耳にもっとも快く,もっとも美しく響いたドイツ語は,ドイツでもオーストリアでもなく,まさにスイス出身のソプラノ歌手エディット・マティスさんのドイツ語でした***。この意味におけるドイツ語の諸相については,ドイツ語圏の展望が終わった段階で(いったいいつになるでしょう?),機会を改めてお話しすることにしましょう。

* 田中泰三著『スイスのドイツ語』29ページ(クロノス 1985年)

** „Die Schweizer pauschal“ S.104, Fischer Taschenbuch Verlag 1998

*** 丸々2年のウィーン滞在の間,ドイツ語圏のいくつかの場所で聞いた彼女の歌を,私は1986年,帰国の翌年に東京でふたたび聞きました。独唱会の後,会場 近くのワイン酒場に立ち寄ったところ,思いがけないことに,くつろいでグラスを傾けているマティスさんの姿を目にしました。その時,(ふだんは決してしないことですが)私は何も考えず彼女のテーブルに歩み寄り,長年のファンとしての謝辞をたどたどしく述べずにはいられませんでした。彼女は,自分のプライヴァシーを無視して突然話しかけてきたヘンなおじさんとその非礼に対し,べつに腹を立てることもなく,さきほど舞台から聞こえてきたときと変わらない美しいドイツ語で,今後の活動の予定などを話してくれました。なお,この独唱会は NHK によって録画され,2010年2月7日,教育テレビで『思い出の名演奏』として再放送されました。ピアノは小林道夫さんでした。