コラム

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2009/09/24

Nr.26 ドイツ語圏 (14) スイスのドイツ語 (1)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


オーストリアのドイツ語の話をしている間に,いつのまにか,だいぶ時間が経ってしまいました。気を取り直して,スイスのドイツ語に話を移しましょう。

今から約半世紀前のことです。そのころ,つまり今から50年ほど前,短波によるラジオ国際放送の手伝いをしていた私は,ある日,プロデューサーから5分ほどの録音テープを手渡されました。8月1日のスイス建国記念日に合わせて,在日スイス人の代表に故国に宛てたメッセージをお願いした。この録音テープを一通り聴いて内容を要約してくれないかという依頼でした。「ああ,いいよ」と気楽に引き受け,仕事に区切りがついたところで,テープを聴き始めました。ラジオという公的な場で放送されるかなり公的なメッセージですから,当然のこととして標準ドイツ語を使って話すだろうと思ったのですが,それが大違い。最初から最後まで,標準ドイツ語は一言も出てこず,聴き慣れたドイツ語と大きく異なる響きの言葉が次々と耳に入ってきました。1度聴いても,2度聴いても,内容は切れ切れにしか理解できず,まったく途方に暮れました。誇張ではなく,ほんとうにお手上げ状態だったのです。しかし引き受けた以上,途中で投げ出すわけにいきませんから,同じテープを巻き戻して再び聴き,理解できたことをメモし,巻き戻してまた聴いてメモするという作業を続けました。何度この作業を繰り返したことでしょうか。10回,20回,あるいはそれ以上だったかもしれません。そのときの録音テープも,私が苦労してまとめた内容の要旨ももはや手元にないので具体例は出せませんが,最初はなんだかわからなかった音声のかたまりが,頭の中にある標準ドイツ語の音と徐々に照応しあい,しだいにまとまって意味のある単位になり,メッセージを伝えるさらに大きな単位に変貌していく過程,これをゆっくりと確かめる作業は,古代文字の解読に劣らない喜びを私に与えてくれました。もっともこの場合,どんなにわかりにくくとも,ドイツ語の一種であるということははっきりしていましたし,建国記念日の祝辞である以上,話される内容もある程度予測がつくわけですから,作業の難度は古代文字の解読とはまったく比較にならず,「聴き取り」としてもやさしい部類のものだったかもしれません。

ところでスイスドイツ語とのこの「悪戦苦闘」の結果,どうも私は誤った自信を得た面もあったようです。紆余曲折の末とはいえ,最初はまるでわからなかったスイスドイツ語が最後にはぜんぶ理解できたという成功体験のため,「スイスドイツ語恐れるに足りず」とでもいうような,とんでもない思い上がりが生まれなかったとは言い切れません。その後,同じような熱意と集中でスイスドイツ語とふれあうことはありませんでしたから,誤った自信が打ち砕かれる機会もありませんでした。しかし実際にはスイスドイツ語は,私の一回かぎりのささやかな体験ではとうてい判断できないほど,きわめて複雑な様相を呈しているようです。

たとえばドイツ語専攻の学生さんの書いた「スイス留学体験記」には次の1節があります。『スイスに到着してまず驚いたことは,スイスドイツ語と標準ドイツ語の違いである。…スイス人からすれば,標準ドイツ語とスイスドイツ語は,単語や文法は共通しているとはいえ,「別の言語」なのだそうだ。…さらにスイスドイツ語圏においておもしろいのは方言の多さである。…「だから話している方言から,その人がどこからやってきたのがわかるのよ」と大学で知り合った友人は教えてくれた。彼女のお父さんはバーゼル出身,お母さんはベルン出身で,彼女自身はチューリヒで育った。なので彼女は父親とはバーゼルドイツ語で,母親とはベルンドイツ語で,友人たちとはチューリヒドイツ語で話すのだそうだ』*。

これを日本の事情に引きなおして考えてみましょう。たとえばお母さんが京都,お父さんが東京の出身で,今は青森で暮らしている一家があるとします その家の子どもは,テレビ,ラジオまたは学校でいわゆる標準語を耳にする前は,お母さんとは「はんなりした」京都弁で,お父さんとは「いなせな」東京弁で,そして土地の友人たちとは太宰治の母語である津軽弁で話す,ということになるでしょう**。

私が持っているビデオ教材: SuperModärns Schwyzertütsch 「超最新スイスドイツ語」は,三つのドイツ語圏の有力都市のどこにも肩入れをしないという趣旨からでしょうか,発行所はスイスのフランス語圏にありますし,ビデオ教材も表題と中身以外は全部フランス語で書かれています。教材のうたい文句もフランス語で,Système complet d’apprentissage du Schwyzertütsch「スイスドイツ語を学ぶ完全システム」とあります。しかし三つのドイツ語圏を完全にえこひいきなく扱うことはやはり不可能だったようで,このテープを視聴したバーゼル出身のスイス人は,「このビデオでは終始チューリヒの方言が使われている」,と苦々しげに言っていました。

要するにスイスのドイツ語圏の人々が最初に身につけるドイツ語は,我々日本人が学ぶ標準ドイツ語あるいはそれに近い変種ではなく,たくさんあるスイスの方言のうちの一つです。そのうちの主要なもの,たとえばチューリヒ方言などが,いわゆる「スイスドイツ語」と見なされることが多いのですが,日本の標準語などと異なり,統一化,平準化の程度ははるかに低い,と言っていいでしょう。

こういうとなんだか「スイスでは標準ドイツ語は通用しないのか」と考えたくなりますが,もちろんこれは事実と反します。スイスでも新聞・雑誌はきちんとした標準ドイツ語で記されていますし,外国人に対してもいきなりスイスドイツ語で話しかけるのではなく,まず標準ドイツ語(あるいはスイスの人がそう思っている言語)で話し始めるのがふつうです。しかしドイツ本国,オーストリアなどで読み書きされ,またある程度までは実際に話される標準ドイツ語は,スイスドイツ語圏の大多数の人々にとっては,主に「書き言葉のドイツ語 Schriftdeutsch」として学校で教えられる言語,大げさに言うと(さきほどのスイス留学記にもあったとおり)外国語の一種です。この Schriftdeutsch と広義のスイスドイツ語との懸隔が大きく,しかも最初に私がお話ししたエピソードのように,当然標準ドイツ語を使うだろうと我々外国人が考えるような場合にも堂々とスイスドイツ語を使う,いわば標準ドイツ語とスイスドイツ語の広範な併用がスイスの言語状況の特徴とされています。これについては続けてお話ししますが,最後に個人的な思い出話をもうひとつ。何かの用事でチューリヒへ行ったとき,私は夕方,つれづれなるままにホテルの自室でラジオのスウィッチをひねりました。ニュースの後の解説番組でしたが,国連,世界経済の動向等々のなんだか堅苦しいテーマが,標準ドイツ語ではなく,スイスドイツ語で報じられるのが聞こえてきて,「あれあれ」と驚くと同時になぜかとても楽しくなったことがあります。日本でも株式市況など,「チョボ・チョボですわ」とか「いやー,あきまへん」など,関西の言葉で報じられたら,株価が多少下がっても投資家はそう傷つかないかもしれません…いや,やっぱり傷つくかな。

* 東京外国語大学ドイツ語科同窓会誌『ゲルマニア』第11号(2008年春)S.45-50

** 太宰治の母語である津軽語については,『走れメロス』を津軽語に改めたテキストとその朗読を収めたCDとから成る『走っけろメロス』という本があります(津軽語訳・朗読 鎌田紳爾)。