コラム

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2023/11/29

Nr.68 ドイツの墓地(後編)

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


ミュンヒェン市営東墓地の管理棟は大変立派な建物です。私はドイツでのあるゼミナールで,ミュンヒェン大学本部の写真の中にこの建物の写真を混ぜてスライドで映すといういたずらをしましたが,誰もこれが墓地の管理棟であることに気付きませんでした。中央に丸屋根をいただき,ギリシャ神殿風の破風と列柱のファサードがあしらわれ,左右に翼棟を伸ばした古典主義様式の厳粛な雰囲気の建物です。丸屋根の下は告別式が行われるホールになっています。前編にも書きましたが,ドイツ,特にカトリック地域では土葬(Erdbestattung)が一般的で,火葬(Feuerbestattung)はプロテスタント信徒を中心に少数派です。土葬は一区画の地面を確保しなければならないので,墓地全体の規模も大きくなりますが,火葬の場合はクレマトリウム(Krematorium)という建物の中に棚を設けて骨壺を並べるという方式なので,場所を取りません。市当局が推奨しているというわけでもなさそうですが,最近火葬が増えたのか,安置所の建物が増築され,もとからあったロマネスク様式の建物の横に,モダンな新棟が造られたようです。

さて,この管理棟で私は事務室にいた係の若い男性に,いろいろと質問をしました。一区画の維持費用はいくらか(最近ネットで調べると,土葬で路地に面している区画は一年間109ユーロ,一つ下がった列の区画は68ユーロとのことです。因みに私の長野県の実家の墓地は一年で4800円です。),希望者は多いのか(空きを待っている人が多いとのことでした),親族がわからなくなってしまった場合はどうするのか(この時の答えは記憶があいまいなのですが,17年後に掘り直して,古い棺を下に埋め,新たに空き墓地とするとのことでしたが,これもネットで調べると,墓地の占有権は10年毎に更新され,このとき支払いが完結していないと破却されてしまうようです),などなど情報を得た後,最後に「あなたはなぜ墓地の職員になったのですか」と尋ねてみました。何か特別な理由,例えば親しい人の死に接して人生について深く考えるようになったからとか,悲しむ人の手助けをしたいから(そういえば日本でも15年前に葬儀屋さんを題材にした『おくりびと』という映画が話題になりました)とか,さらには,先祖代々葬儀関係の仕事をしてきた家柄だからというような,文化社会学的な興味をそそられる答えを期待していたのですが,帰って来たのはまったく素っ気ない言葉でした。失業状態(arbeitslos)にあったとき,新聞に載っていた市の募集広告を見て応募したら採用されたのでここで働いている,というのです。1990年前後のドイツの,いかにもありそうな話でした。

管理棟を出て美しい公園のような墓地の中を歩いていると,丁度造園業の人たちが作業をしているところが目に入りました。さっき管理棟で聞いた破却の現場が見られるかも知れないと思い近寄って行くと,作業服を着たおじさんが一人向こうから声を掛けてきました。「あんたは日本人かい?」というので,そうだと答えると,「俺はトルコから来たんだ。故郷には娘がいるんだ。」といってポケットからパスポート入れを出し,挟んである娘さんの写真を見せてくれました。「どうだ,かわいいだろう。あんたのこどもは何歳だ?」と言うのですが,私はその頃はまだ独身でしたので「子どもはいませんよ。」と答えるしかありませんでした。私は「娘さんのために,ドイツで頑張ってくださいね。」と言ってトルコ人のおじさんと別れました。