コラム

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2023/11/22

Nr.67 ドイツの墓地(前編)

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


ドイツ語で墓地のことを,Kirchhof または Friedhof といいます。Hof はもともとは「囲まれた土地」のことで,そこから「中庭」「農園」「(母屋や倉庫,家畜小屋などが中庭を囲んでいる)農家の屋敷」さらには「領主の館」「宮殿」を意味するようになりました。ですから Kirchhof とは,教会の敷地内に設けられた墓地のことを指すわけで,以前はこれが墓地の普通の形でした。ところが,近代になって都市が大きくなってくると,教会の敷地だけでは足りなくなり,また衛生管理上の問題もあり(ヨーロッパでは今でも土葬が一般的です),市当局は郊外に市営墓地を設けるようになります。そこで Friedhof,つまり「死者が安らかに眠る園」という言葉が使われるようになりました。例えばミュンヒェンには市営墓地 Städtischer Friedhof が28箇所あり,なかには Israelitischer Friedhof というユダヤ人墓地も含まれています。

私はかつて,比較文化研究のテーマとしてドイツの宗教生活を選び,フィールドワークのために,ミュンヒェン市営東墓地(Ostfriedhof)を何度か訪れたことがあります。ここは約26ヘクタールの敷地に3万以上の区画を持つ広大な施設で,造営されたのは1900年頃です。因みに東京都営の青山霊園も26ヘクタールです。

墓地の入り口近くに決まってあるのが花屋さんです。墓参りに来た人はここで花束を買い,墓石の前に供えます。墓地の中に入ると,縦横の散策路に沿ってたくさんの墓標が並んでいます。有名人や資産家の,ギリシャ神殿やバロック教会のミニチュアのような豪華なものから,十字架だけが地面に直接建てられている簡素なものまで,さまざまなタイプのお墓がありますが,よく見かけるのは,幅1メートル,奥行き3メートルくらいの区画を切石で囲い,正面に高さ1メートルほどの石板を直立させたものです。石の面は,あの世に通じる神聖さをイメージさせ,そこには故人への哀惜の念や聖書の句などの短文(Inschrift)が刻まれています。手前の地面には花を活け,蝋燭を入れる角灯 Grablaterne を置きます。このあたり,お線香と花を捧げる日本のお墓と共通の発想ですね。墓石に刻まれた故人の,「」の印がついた没年を見ると,1944年から1945年が多く,中には „in Rußland“ と死亡地を記したものもあります。

墓地でよく見かけるのはやはりお年寄りで,特に女性が多い印象です。あるときそんなおばあさんから話しかけられました。あなたは日本人でしょう,私達は今でも,日本人は一番頼りがいのある国民だと思っていますよ,などと言われました。戦後40年以上経った1989年のことです。

以前のコラム(Nr.63)で紹介した11月1日の万聖節(Allerheiligen)の日には,多くの家族が墓地を訪れます。遠方からの親族も加わって,亡くなった家族の霊に祈りを捧げ,お墓参りが終わるとミュンヒェン市内のレストランで会食するなど,水入らずのひとときを過ごすのでしょう。