コラム

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2018/06/05

Nr.51 宿題の回答です!―ハイネの失恋とその後

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


ここ数年,成城大学でドイツ文学の講義を担当していますが,1〜2年生向けの講義では「ドイツ文学入門」と題して,中世から20世紀までのドイツ文学の流れを,それらの作品の成立した時代の歴史と絡めながら話しています。つい歴史に力が入りすぎて,出席している学生から歴史の講義みたいなどと言われることもありますが,歴史学の専門家に聞こえたら笑われてしまいそうです。

さて,前回のコラム Nr.50 Im wunderschönen Monat Mai で出した宿題を考えてくださったでしょうか。5月になって花が一斉に咲き乱れ,小鳥が愛の歌をさえずるとき,詩人の心に愛が芽生え,そしてその燃える想いを恋人に伝えた……これがどうして失恋の歌になるのでしょうか。

シューマンの歌曲集『詩人の恋』Dichterliebe の第一曲がハイネのこの詩なのですが,歌曲集全体を眺めてみると,詩人の恋は失恋としか言いようがありません。失恋になってしまうからこそ,言葉にならない辛い思いを必死になって言葉にする,それが詩の本質なのではないでしょうか。

それに,ハイネ自身の体験を振り返ってみても,これが失恋の詩であることは間違いありません。デュッセルドルフの商家として成功したユダヤ人の家庭に生まれたハイネは,ハンブルクにいる超大金持ちのおじさんザロモン・ハイネのところにしばらく「修業」に出かけます。そこでアマーリエという従姉妹に出会い恋に落ちてしまいますが,この恋はおじさんの反対にあって実ることはありませんでした。

文学講義で中世の騎士文学を扱うときにも,実ることのない騎士の恋こそが最大の恋である,などとつい口走ってしまうのですが,どうやら学生諸君はこの意見には反対のようです。せっかく恋をしたのだから成就してほしい,失恋なんて嫌だ,というのがふつうの感情なのでしょうが,残念ながらそれでは詩は生まれません。

それから,この詩のドイツ語の時称に少し目を向けてみてください。als という接続詞は「〜したとき」という意味で,この副文には過去時称が用いられることはご存知かと思います。花が咲いたり小鳥がさえずったりしたのは,詩人が思い出している過去のことなのです。さらに主文は現在完了時称で書かれています。英語流にいうと現在完了の「継続」だから,今もそのときに生まれた恋心は続いていると言えそうですが,ドイツ語の現在完了は少し違っていて,あのときに生まれた恋心はもう終わってしまったと理解するのが自然でしょう。これらの根拠により,ハイネのこの詩はやはり失恋を謳ったものだと解釈するのが正しいと思いますが,いかがでしょうか。

ハイネはわが国でも「恋愛詩人」として知られていて,山本有三の『女の一生』でもハイネの恋愛詩が絶妙の働きをします。しかしその一方でハイネは,三月前期と呼ばれるドイツ文学史の一時期を代表する詩人であり,自由を弾圧しようとする政府に反抗したために全著作が発禁処分を受けるとともに,本人もドイツにいられなくなってパリに亡命します。

そこからドイツに向けてフランス便りを送り続けるのですが,1848年のフランス二月革命のころに何が原因だったのか,突然倒れてしまい,生涯を「褥の墓場」で過ごすことになりました。そのハイネをマティルデという女性が生涯付き添ってくれたので,失恋ばかりを謳った詩人でもないようです。