コラム

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2010/03/09

Nr.29 ドイツ語圏 (17) スイスのドイツ語 (4)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


ドイツ語圏全体を南北に二分する境界線「白ソーセージ赤道(Weißwurstäquator)」については, 「ドイツ語圏 (5)」 でお話ししました。「白ソーセージを好む南部地域とその他の地域との境界線のこと。ほぼ Main 川と一致する」と,独和大辞典(小学館)に説明されているとおりです。ところで,冗談半分にスイス内部にもこれと似た境界線を想定する人々がいます。Röstigraben と呼ばれる境界線です。どんな境界線なのでしょうか。

まず第一に,この語の構成をきちんと見極めましょう。この語は Röstig+Raben ではなく,Rösti+Graben と切ります。後ろの Graben は「堀,溝」ですが,前半の Rösti は何でしょうか。標準語ではないので,ふつうの辞書には出ていませんが,ドイツ,オーストリア,スイスの方言語彙を公平に収録している専門辞典*の記述に よると,次のような食べ物だそうです。 „mit einer Raffel zerkleinerte, gebratene Kartoffeln mit zusammenhängender Kruste (gelegentlich unter Zugabe von Würfeln aus Speck, Käse oder zerkleinerten Äpfeln). …(中略)… Auch in der mundartlichen Schreibung Röschti“ 「スライサーでせん切りにし,全体に焦げ目がつくように焼き固めたジャガイモ(さいの目に刻んだベーコン,チーズ,リンゴを加えるときもある)。 … Röschti という方言的な表記もある」。要するにいためた細切りのジャガイモで,肉料理の付け合せなどによく用いられます。ö は長音で,そして sti はまるで語頭にあるかのように [ーシュティ] と発音されます。「方言的な表記」とされる Röschti あるいは Rööschti のほうが,実際の発音により近いかもしれません。スイスのメーカーが製造しているレトルト食品もあります。Rösti, Röschti, Rööschti という3通りの表記を頭に置きながら,輸入食品を扱っているスーパーなどで捜してごらんなさい。

この Rösti の後ろに Graben 「堀,溝」をつけた語が Röstigraben ですが,さてこの語は何を指しているのでしょうか。実はこれはスイスのドイツ語圏とフランス語圏の間に想定された架空の境界線で,二つの言語圏の人々の考え方や政治的な行動などの違いを対比的に表すために半ば冗談で用いられます。スイス西部を流れる Saane ザーネ川が,フライブルク州で Saanegraben という渓谷を形作り,これがドイツ語圏とフランス語圏の境界の一部をなしています。これをお手本にした造語が Röstigraben で,この西がフランス語圏,東がドイツ語圏です。訳語はできるだけ大げさなほうが面白いでしょう。中部地方で日本を横断し,日本を東と西に分けている大地 溝フォッサ・マグナになぞらえて,「レーシュティ・フォッサ・マグナ」はいかがでしょうか。

さて,この境界をはさんで西のスイス・フランス語圏を Romandie と言い,そこの人々を die Romands または die Welschen と言います。音楽ファンにはジュネーヴ(Genève. ドイツ語形は Genf)の「スイス・ロマンド管弦楽団(Orchestre de la Suisse Romande)」が,指揮者エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)の名前とともに耳に親しいのではないでしょうか。

この Röstigraben の西と東では,国民投票などの場合,その投票結果に顕著な違いが出てくるのだそうです。外交・社会政策に関しては,西,つまりフランス語圏では,外国,とりわけEUに対し融和的であり,国家による規制に対してもあまり抵抗がないのに対し,東,つまりドイツ語圏は外に対して身を閉ざし,スイスの独自性を重んじる態度を取る,しかし交通・環境・麻薬・社会政策に関しては,西が保守的な態度を取るのに反し,東はむしろ革新,進歩の姿勢を見せるのだそうです**。果たしてこれが本当かどうかは,自分で確かめたわけではないので断定は避けます。しかしパリという中心を常に意識し,言葉のうえでも文化の面でもパリをお手本にするフランス語圏の中央志向的な傾向を考えると,そしてこれとは対比的に,言葉のうえでも,文化の面でも各州(カントーン)の独自性を重んじるドイツ語圏の地域優先志向を考えると,このようなおおざっぱな特徴付けにも多少の正当性があるのかな,と思います。

5年前,2005年10月5日付けの朝日新聞で「スイスの仏語危うし ― ドイツ語圏で進む英語重視教育」という見出しで,かなり大きな報道がありました。スイスでは国家として全国の教育を統括する中央省庁はなく,26の州および準州がそれぞれ独自に教育に関する権限を持っています。したがって各州によって事情は少しずつ異なりますが,国としての言語政策上の大原則もないわけではありません。たとえば,ドイツ語圏では小学校5年生からフランス語を,フランス語圏では3年生からドイツ語を,それぞれ第二国語として重点的に教えて,多言語国家として各言語圏の人々が支障なく意思疎通を行えるようにし,また人々の結束を強めるようにするというのも,大原則のひとつです。「第二外国語」ではなく,「第二国語」となっているところが,いかにもスイスらしいのですが,最近ではどうも「ドイツ語圏ではフランス語が第二国語」という原則が崩れ始めているらしい,というのがこの報道の主眼です。

震源はドイツ語圏の中心地チューリヒで,ここで2004年に行われた住民投票において,英語優先の方針が7割以上の支持を得て決まり,それまで中学からだった英語の授業が小学2年から義務付けられ,他方,第二国語としてのフランス語の授業は,従来どおり小学5年から開始する,という決定がなされたそうです。理由はもちろん世界語としての英語の目覚しい進出で,記事ではチューリヒの小学校の校長先生の発言: 「チューリヒのビジネス界は英語が主流。スイス人同士でも独語系と仏語系が英語で話す時代。早期の英語教育は親たちも歓迎している」が引用されています。フランス語圏の保守層はこれに猛反対で,たとえばある政治家は,「私たち仏語圏住民にとって,独語を習得することは国民の融合や結束のために欠かせない。英語を仏語に優先させたチューリヒの決定は残念だ」と述べています。

これを読むと,ドイツ語圏ではフランス語を軽視し,英語を重視しているのに対し,フランス語圏の人々は第二国語としてのドイツ語を熱心に学んで,Röstigraben を越えたスイス国民の相互理解と結束を重視しているみたいな印象を受けますが,どうも実情はそうでないようです。ちょっと古いのですが,1998年2月19日の Süddeutsche Zeitung (南ドイツ新聞)に „Zürcher Sprachverwirrung. Frankophone streiten mit Deutschschweizern über Englisch“ 「言葉をめぐるチューリヒのごたごた。スイスのフランス語話者とドイツ語話者が英語をめぐって論戦」という見出しで,朝日新聞とほぼ同じような内容の記事がありました。その記事の中ほどにある次の一節をお読みください: Daß die meisten Romands den Deutschuntericht als eine Art pädagogische Folter empfinden, ist ein offenes Geheimnis. „In unseren Schulen gehört es zum guten Ton, schlecht in Deutsch zu sein“, gestand der welsche Sprachforscher Jean-François di Pietro in der Lausanner Zeitung Le Nouveau Quotidien. Entmutigend ist für die Welschen die Tatsache, daß sie Hochdeutsch lernen, während man von Zürich bis Bern Schweizerdeutsch spricht, das sie nicht verstehen. 「スイスのたいていのフランス語話者はドイツ語授業を一種の教育上の拷問台と感じている。これは,公然の秘密である。«我々の学校では,ドイツ語の成績が悪いということが,エチケットにかなうこととされている»と,フランス語圏の言語学者ジャン=フランソワ・ディ・ピエトロはローザンヌの新聞ル・ヌヴォー・コティディアンで告白した。スイスのフランス語話者にとって学習意欲に水を差すのは,彼らの学習するのが標準ドイツ語であるのに対し,チューリヒからベルンまで彼らの理解できないスイス・ドイツ語が話されているという事実である」。たしかにフランス語圏で熱心に標準ドイツ語を学べば,ゲーテ,シ ラー,ケラー,フリッシュ,デュレンマット,さまざまな公文書や「新チューリヒ新聞(Neue Zürcher Zeitung)」は読めるようになるけれど,チューリヒやベルンでふだん話される口頭のドイツ語はなかなかわかるようにならない,という有様では,学習意欲はすこし落ちますね。とはいえ,前回お話ししたように,フランス語圏では98パーセントの人々が標準フランス語を話しているのですから,ドイツ語圏のフランス語学習意欲はこの点では別に悪影響を受けないはずです。それにもかかわらず,チューリヒにおけるフランス語軽視,英語重視は朝日新聞の記事のとおりですし,そもそもドイツ語圏のスイス人のうち,フランス語を使って流暢にコミュニケートできる人は全体の三分の一に過ぎず,フランス語圏のスイス人のうち,ドイツ語を使って流暢にコミュニケートできる人の割合はさらに低く,5人に1人くらいの割合だろうと言われています。第一国語と同じように第二国語もできる,というのは理想であって,かならずしも現実ではないのですね。それでも,Röstigraben を乗り越えるためには,つまり相互理解を深め,結束を強化するためには,ドイツ語圏の人々がフランス語を,そしてフランス語圏の人々がドイツ語を使うのが一番でしょう。たとえフランス語なまりのドイツ語,ドイツ語なまりのフランス語であってもかまわないじゃありませんか。相手の第一国語を苦労して習得して話すほうが,どちらの母語でもない英語を使って話すよりも,少なくとも私には好感が持てます。

* Variantenwörterbuch des Deutschen「ドイツ語変異形辞典」,Walter de Gruyter 2004

** „Röstigraben“ aus Wikipedia, der freien Enzyklopädie