コラム

ここからページの本文です

2006/11/22

Nr.11 ドイツ語圏 (5) オーストリア (3)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


前回はドイツとオーストリアに関する Vorurteil(「予断」,「先入見」,「思い込み」)についてすこしお話しし, deutsche Pünktlichkeit 「ドイツのきちょうめんさ」対 österreichischer Charme 「オーストリアの人当たりのよさ」という例をご紹介しました。この Vorurteil によると,「ドイツ人は万事にきちょうめんである(しかしあまり人当たりはよくない),オーストリア人は人当たりがよい(しかしあまりきちょうめんではない)」ということになりますね。くどいようですが,これがあくまでも「思い込み」,「予断」,「色眼鏡」であり,すべての場合に当てはまるわけではないこと,これをもう一度,お断りしておきます。今回はその続きです。

最後の点,つまり「オーストリア人には,ドイツ人の持つきちょうめんさが不足している」という Vorurteil に関して,ドイツ人はよく österreichische Schlamperei 「オーストリア的だらしなさ」と言います。形容詞は schlampig (「(生活態度,仕事などが)だらしない」)です。オーストリア人のほうも負けてはいません。ドイツ的きちょうめんさが,ともすれば融通の利かない野暮ったさに堕しがちになることをとらえて, deutsche Pedanterie 「ドイツ的杓子定規」と言ったり,ドイツ人のことをPiefke「ドイツ野郎」と呼んだりしてからかいます。この辺のやりとり,機知とユーモアにみちた応酬は,遠く離れた極東の日本にいる野次馬の立場から見るとたいへん愉快で,興味はつきませんが,話がますます本筋からそれてしまうので,これ以上深入りしないことにします。

ところでさて,この Piefke という語は,ドイツ人に対してならだれにでも使われるかというと,かならずしもそうではありません。たとえばオーストリアと言葉の上で共通点が多いバイエルン地方のドイツ人のことは,あまり Piefke とは言わないようです。そうではなくて,ドイツ語圏のほぼ真ん中を東から西へ流れるマイン川の北に住むドイツ人,とりわけベルリンを中心とする旧プロイセン地域の人々についてそう言われることが多く,その意味では「ドイツ野郎」,「ドイツっぽ」よりも,「プロイセン野郎」という訳語のほうがいいかも知れません。どうもこのマイン川を境にしてドイツ語圏は南と北に分かれているようで,地球を南半球と北半球とに分けている赤道(Äquator)になぞらえて,この南北の境界線を Weißwurstäquator 「白ソーセージ赤道」と呼ぶことがあります。小学館の独和大辞典にはこの語がちゃんと採録されていて,「白ソーセージを好む南部地域とその他の地域との境界線のこと。ほぼ Main 川と一致する」という説明があります。「ドイツ語圏」に関するこのお話のはじめに,ドイツ語圏が複数の国を覆って広がっていること,その意味では国境と言語境界線とはかならずしも一致しないと述べましたが,ドイツ語圏内部の人々の気質,文化,言葉に関する境界線も,かならずしも国境線とは一致しないようです。この「白ソーセージ赤道」の南には,ミュンヒェンを中心とするドイツのバイエルン州と,ウィーンを中心とするオーストリアがありますが,この2つの都会をふくむドイツ語圏の「南半球」は,マイン川以北の「北半球」にある諸地方,とりわけベルリンを中心とするプロイセンに対して,時には国境を越えて共同戦線を張ることがあるとも言えるでしょう。

さて,この辺からいくつか,具体的な事例をご紹介しながら,話を進めて行くことにしましょう。

1998年夏,私がちょうどドイツに滞在していたとき,オーストリアの山間部の鉱山で落盤事故があり,鉱夫が何人か坑道に閉じ込められました。捜索が打ち切られた数日後,奇跡的に救出された鉱夫がいたりして,かなり人々の関心を集めた事故でしたから,ドイツからもアナウンサー,レポーターが現地に派遣され,連日のようにドイツのテレビに報道を送ってきていました。その鉱山の所在地の村の人々,救出された鉱夫たちへのインタビューもたびたび放送されましたが,おもしろいことに,そのときにはこれらの人々が話すドイツ語に合わせて,テレビ画面にかならず標準ドイツ語の字幕が出ました。ドイツ語にドイツ語の字幕がついたわけです。日本でも最近は聴覚にハンディキャップのある人々への配慮から,テレビで字幕が多用されますし,さらにはいわゆるお笑いタレントの,あまり上質とは言えない発言をわざわざ字幕で繰り返すくどい演出などが見られますが,私が見たドイツのテレビの字幕はそのいずれでもなく,要するに標準ドイツ語の話者には字幕が必要なほど,標準からずれているドイツ語の変種があるという事実の反映でした。私にもやはりこの土地の人の話すドイツ語はわからず,悔しい思いで字幕つきの報道を追っていましたが,そのうち,どのような人々のドイツ語に字幕がつき,どのような人々のドイツ語に字幕がつかないかということに,関心が移ってきました。結論を申し上げますと,現地の人で,かなりきついオーストリア調のアクセントを伴ってではありますが字幕なしで,つまり私にもわかるドイツ語でインタビューに応じていたのは,村の牧師さんと捜索隊の隊長だけでした。もっともこの2人は,この土地で生まれ育ったのではないかもしれません。あるいはこの土地の出身者であっても,職業柄,標準ドイツ語を話す努力を重ね,その機会に恵まれていた人々だったのでしょうね。つまり地域によってのみならず,話す人の社会階層や教育によっても,また話す状況によってもドイツ語が違ってくるわけですが,このことについては機会を改めてお話しします。

さて,ドイツ人にもわからないドイツ語がある,というとウソみたいですが,たとえば日本の方言でも,その土地の生粋の話者によって話される場合は,他の地方の日本語話者にとって理解不可能なことがありますね。ドイツ語でも日本語でも,我々は実はかなり純化され,平均化・標準化された形,酒造りにたとえれば言葉の上澄みを用いているに過ぎず,その下には活力に満ちた多種多様な言葉が,ふつふつと発酵を続けているわけです。この話の続きはまた次回。

追記: 前々回のコラムで,「オーストリアはよく南半球の国オーストラリアと混同されます」と申し上げました。まさかこのコラムのせいではないでしょうが,2006年10月,駐日オーストリア大使館から, Umbenennung von Österreich im Japanischen 「オーストリアの日本語発音表記の変更について」という文書が公表されました。そこには「(今後は)…,Österreich の呼称を『オーストリー』と変更することで,オーストラリアとの違いを明確に致します」,「オーストリー大使館,及びオーストリー大使館商務部の表示は現在変更中であり,名刺の表記は既に変更済みです」とあり,「より多くのオーストリー及び日本の機関,企業,個人の方にこの新しい表記を使用していただくこ とにより,『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれ,大使と商務参事官の名前が記されていました。さて,大使館のこの要望に従って,次回のコラムは「オーストリー(4)」と改めるべきでしょうか。それとも今までどおり「オーストリア(4)」で通すべきでしょうか。まあ,次回までに考えておきましょう。