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授賞論文一覧

ドイツ語学文学振興会賞 授賞論文

  • :振興会賞
  • :振興会奨励賞
  • :出版賞

第1回(1961年)

  • 宮原 朗: ヘルダーリンの姿勢(『ドイツ文学』25 号)
  • 田中宏幸: 造語論の二三の問題点について(『ドイツ文学』25 号)
  • 根本道也: ドイツ・ロマン主義とヘルマン・ヘッセ(『ドイツ文学』25 号)

第2回(1962年)

  • 川島淳夫: Einige Bemerkungen zum Verständnis des Begriffs „Semantotypologie“(関西大学『文学論集』11巻5号)
  • 高木久雄: Über Goethes Wahlverwandtschaften, besonders im Hinblick auf die Form des Romans(『ドイツ文学』26号)
  • 松浦憲作: ファウスト博士(『ドイツ文学』27号)
  • 吉安光徳: 叙事演劇の基本問題(『金沢大学法学部論集文学篇』第8巻)

第3回(1963年)

  • 西尾幹二: ニイチェと学問(静岡大学『人文論集』13号),ニイチェの言語観 ―― 初期の作品をめぐって(『ドイツ文学』28号),論争と言語 ――ニイチェをめぐって(『Neue Stimme』創刊号)
  • 柏木素子: „Parzival“ 研究の近況(『ドイツ文学』28号)
  • 谷口幸男: ゴート語における格の用法(神戸大学文学会『研究』26号)
  • 橘 三雄: 関口存男著『冠詞』全3巻(三修社)

第4回(1964年)

  • 大久保寛二: 変化する人間 ―― ブレヒト初期の理論と(叙事的)技法(『上智大学ドイツ文学会会報』5号)
  • 中島悠爾: 「グレゴーリウス」研究の基礎的操作(『ドイツ文学』31号)
  • 越部 暹: Die Modernität der Dramatik Georg Büchners(『ドイツ文学』30号)
  • 楢原良行: 中世叙事詩の詩形と語順 ―― Nibelungenlied の不定詞について(『静大論集』西部篇1号)

※以上の論文は『受賞論文集第1巻』に収録。

第5回(1965年)

  • 轡田 收: Gryphiusの初期ソネット ――リッサ版ソネット集の詩法(『形成』22号)
  • 藤代幸一: Pfaffe Amis の笑い(『Lynkeus』5号)
  • 菊池雅子: 再帰動詞のかき替えとしての sein+過去分詞(『東京都立大学人文学報』38号)
  • 古井由吉: ムシルの「トンカ」について ――出来事と非現実化(『ドイツ文学』33号)

第6回(1966年)

  • 青木順三: 芸術家と時代 ―― トーマス・マンの『非政治的人間の省察』について(『白描』4号)
  • 喜多尾道冬: クライストの自然観 ―― 視覚的な印象に基く創造への手がかりの問題について(静岡大学文理学部『人文論集』15号)
  • 杉浦健之: ロマン派のニヒリズム ――『ボナヴェントゥラの夜警』について(山形大学紀要『人文科学』6巻1号)

第7回(1967年)

  • 石井不二雄: 『緑のハインリヒ』について(『形成』26,27号)

第8回(1968年)

  • 池田浩士: ルカーチの文学理論における長篇小説の問題(『ドイツ文学』39号)
  • 入野田眞右: Hermann BrochのJames Joyce体験試論 そのII ―― 描写方法(『東京水産大学論集』1号)
  • 大久保健治: フリードリヒ・フォン・ブランケンブルクの位置(『ドイツ文学』38号)
  • 薗田宗人: ニーチェからベンへ ―― 表現の世界(阪神ドイツ文学会編『ドイツ文学論攷』8号)

第9回(1969年)

  • 相良憲一: Das Lessing-Bild Friedrich Schlegels(『ドイツ文学』40号)
  • 大久保進: 若いゲーテの芸術把握について(『ヨーロッパ文学研究』15号)
  • 酒田健一: 新しい神話としての「フリードリヒ・シュレーゲル」の世界観(『ヨーロッパ文学研究』15号)
  • 野入逸彦: 語義の対比的記述について(『ドイツ文学』41号)
  • 宮下啓三: 『孤独なオベリスク』―― スイス文学についての覚え書き(『Neue Stimme』8, 9 号)

第10回(1970年)

  • 江村 洋: ヘルダーとシェイクスピア(『比較文学研究』15号)
  • 柴田健策: トーマス・ミュンツァーの宗教改革(『ヨーロッパ文学研究』17号)

第11回(1971年)

  • 洲崎惠三: 形式と深淵 ――『ヴェニスに死す』試論(『金沢大学教養部論集人文科学編』7号)
  • 福田幸夫: Kennen und Wissen(『ドイツ文学』45号)

第12回(1972年)

  • 新井皓士: 《Marat/Sade》から《Trotzki im Exil》へ(『ドイツ文学』46号)
  • 井上修一: ホーフマンスタール『六七二夜の物語』試論(『ドイツ文学』46号)
  • 古賀允洋: Die Litotes im Tristan Gottfrieds von Straßburg(『ドイツ文学』46号)

第13回(1973年)

  • 岡﨑忠弘: Der Nibelunge Nôt における否定表現の研究 ――否定詞 ne の衰退の様態について(近畿大学工学部紀要『外国語外国文学』第2号)
  • 小島康男: フリードリッヒ・デュレンマットの喜劇論について(『ドイツ文学』48号)

第14回(1974年)

  • 高橋義人: ゲーテの古典主義と純粋理念(『ドイツ文学』51号)
  • 三島憲一: 歴史性と学問化 ―― Dilthey によるカノンの形成(『ドイツ文学』51号)

第15回(1975年)

  • 河野 眞: Einführung zu Robert Musils „Der Mann ohne Eigenschaften“(愛知大学文学会『文学論叢』第52輯)
  • 髙橋輝和: ゴート語における様相の助動詞の意味構造(『ドイツ文学』53号)

第16回(1976年)

  • 高橋輝暁: Die dichterische Welt Hölderlins(学習院大学文学部『研究年報』第21輯)
  • 木庭 宏: ハインリッヒ・ハイネをめぐるユダヤ人論議 ―― 同時代新聞・雑誌紙上の反響から(1820-1856)(神戸大学教養学部紀要『詩集』15号)
  • 在間 進: Zum Problem der Nominalisierung im Deutschen und im Japanischen(『ドイツ文学』55号)
  • 平子義雄: 認識と表現 ―― ハイムの表現主義(『ドイツ文学』55号)

第17回(1977年)

  • 森 光昭: 『ヴォイツェク』をめぐる校訂の基本的諸問題(『ドイツ文学』56号)

第18回(1978年)

  • 斎藤松三郎: ゲオルク・ビューヒナーの世界観もしくは思考様式(『ドイツ文学』58号)
  • 田中岩男: ミニヨンをめぐって(弘前大学人文学部『文経論叢』第12巻2号)
  • 八木輝明: ヘルダー『近代ドイツ文学断想』における古代と近代の相克(『ドイツ文学』58号)

第19回(1979年)

  • 岩下眞好: ビューヒナーにおける神の問題 ――人間のモチーフを出発点として(『ドイツ文学』61号)
  • 大友 進: ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン《芸術的精神》の《現象学》―― その構成と解釈(『詩・言語』12号)
  • 鍛治哲郎: 表現主義の文学史的位置について(『ドイツ文学』61号)

第20回(1980年)

  • 毎熊佳彦: 観照のディレンマ ―― 初期ニーチェの言語論を中心に(『理想』昭和54年10月号)
  • 上田浩二: ウィーン演劇の1870-80 年代 ―― Anzengruber と Volkstheater(『ドイツ文学』62号)
  • 河中正彦: 自虐の機制 ―― カフカの『流刑地にて』(山口大学『独仏文学』昭和54年1月号)
  • 木藤冬樹: Versuch einer Bedeutungsanalyse bei Synonymen auf der Grundlage der Kollokation. Die Verben bekommen, erhalten, empfangen und kriegen(Münstersches Logbuch zur Linguistik 4. 1979)

第21回(1981年)

  • 城 眞一: 初期リルケの神をめぐる闘い ――『僧院生活の書』における「神創造」について(『東京医科大学紀要』6号1980年)
  • 鈴木真技子: ギュンター・グラスの『ひらめ』の空間(『ドイツ文学』64号)
  • 檜山哲彦: 道と時 ―― パウル・ツェランの偏倚(『ドイツ文学』64号)
  • 福本義憲: 統合構造の変動と高地ドイツ語子音推移(『ドイツ文学』65号)

第22回(1982年)

  • 市川 明: ハイナー・ミュラー ―― „Vorgeschichte“ のドラマと生産劇(『ドイツ文学』67号)
  • 三浦國泰: 解釈学の根本理念とその構造 ―― 古典文献解釈,聖書解釈から(『ドイツ文学』66号)

第23回(1983年)

  • 岡部 仁: ライムントの最終場面(『ドイツ文学』68号)

第24回(1984年)

  • 河原俊雄: G.ビューヒナー『ヴォイツェック』試論 ―― 日常の中の狂気(『ドイツ文学』70号)
  • 水上藤悦: 劇作家としてのリルケ ―― リルケの初期戯曲作品について(『ドイツ文学』71号)
  • 村井 翔: 「夕べ」と言う者は多くを語る ―― 若きホーフマンスタールの詩法(『ドイツ文学』70号)

第25回(1985年)

  • 松浦 純: Zu „fromm“ bei Luther(『ドイツ文学』73号)
  • 岡野 進: アドルノ ―― 運動への意志(『ドイツ文学』73号)
  • 島途健一: ジャン・パウル試論 ――『宵の明星』にあらわれた人と文学(東洋出版『ドイツ文学論集』小栗浩教授退官記念 1984年)
  • 清水 誠: Gottfried の „Tristan“ における中高ドイツ語動詞接頭辞 GE- の研究 ―― 語彙・文法・文体(『ドイツ文学』72号)
  • 原  克: 『ベビュカンあるいは奇蹟の俗人たち』評釈 ―― カール・アインシュタイン研究(その二)(神戸大学『ドイツ文学論集』13号)

第26回(1986年)

  • 石橋道大: ヘルダーリンにおける Frankfurter Oden の成立とホラーティウスの影響(『ノルデン』22号)
  • 三瓶裕文: 話者の心的態度と統語現象 ―― daß 補文をめぐって(『ドイツ文学』74号)

第27回(1987年)

  • 大野 真: 異類の潜む場所 ―― ホフマンスタール初期作品における三つの迷宮(『オーストリア文学』2号)
  • 四反田想: Topoi in Wolframs „Parzival“(『広島ドイツ文学』I)

第28回(1988年)

  • 高田博行: 十七世紀の言語規範論におけるルター像(『ドイツ文学』78号)
  • 服部 裕: ペーター・ハントケの劇作 ―― 話劇と『カスパー』にみる詩的フォルムへの可能性(『秋田大学教育学部研究紀要』1987年)

第29回(1989年)

  • 伊藤 眞: Produktivität in Wortbildung und Phraseologie(Beiträge zur Erforschung der deutschen Sprache Bd. 8)
  • 藤井啓司: Die Würde eines polyphonen Romans. Uwe Johnsons „Mutmaßungen über Jakob“(『ドイツ文学』81号)

第30回(1990年)

  • 岡本麻美子: 『愛の洞窟』と『宮廷の喜び』―― ゴットフリート vs. ハルトマン(『ドイツ文学』83号)
  • 田邊玲子: カロリーネ・フォン・ギュンデローデ ―― 不可能性の呪い(『ドイツ文学』82号)

第31回(1991年)

  • 古屋裕一: 初期ヴァルター・ベンヤミンにおける媒質的展開運動(『独文論集』11号)
  • 河崎 靖: ゲルマン語音韻論の新しい動向 ――「グリムの法則」を中心に(『ドイツ文学』84号)
  • 保阪泰人: ドイツ語史研究と生成文法(『ドイツ文学』84号)

第32回(1992年)

  • 園田みどり: Analogische Phantasie in Botho Strauß’ Roman „Der junge Mann“(『ドイツ文学』86号)
  • 吉田芳弘: 馬と息子たちと猿 ―― フランツ・カフカの短編集『村医者』の統一性について(『Seminarium』第13号)

第33回(1993年)

  • 石田雄一: 叙事的演劇と残酷演劇 ―― ブレヒトとアルトーとの言語意識に関する共通性(『ドイツ文学』89号)
  • 大矢俊明: 副詞節の位置と機能(『ドイツ文学』88号)
  • 髙木繁光: 半分の風景 ―― ツェランの詩的世界の様相(『ドイツ文学』89号)
  • 保阪良子: 等位接続詞の語用論的用法(『ドイツ文学』88号)

第34回(1994年)

  • 新本史斉: 〈不幸の詩人〉の幸福 ―― ローベルト・ヴァルザーの読むクライスト,ビューヒナー(『ドイツ文学』91号)

第35回(1995年)

  • 川嶋 均: ドナウエッシンゲン受難劇の語法と構成原理(『詩・言語』45号)
  • 髙木葉子: 未決の対立と開かれた構造 ―― ヴィルヘルム・ラーベの『シュトップフクーヘン』と『フォーゲルザングの記録』(『ドイツ文学』92号)
  • 山本浩司: わたしとわたしとの間にある濡れた境界 ―― バッハマンの『去りゆくウンディーネ』における自己の二重化について(『WASEDA-BLÄTTER』創刊号)
  • 渡辺 学: 一般文法と学校文法のあいだ ―― 1800年前後におけるドイツ言語学の一断面(『ドイツ文学』92号)

第36回(1996年)

  • 津田保夫: シラーの文学的人間学(『言語文化研究』21号)

第37回(1997年)

  • 黒田晴之: いかにしてホモセクシュアルは美学として可能か ―― フーベルト・フィヒテの方法論について(『ドイツ文学』96号)
  • 山本順子: 「消滅と出現」の魔術 ―― ミュノナ『灰色魔術』にみる映画と文学のディスクール分析(『ドイツ文学』97号)
  • 行重耕平: 舌背摩擦音[x]と[ç]の分布とシュワーの変種[ɪ]の派生 ―― 語彙音韻論,素性ジオメトリー及び不完全指定によるドイツ語分析(『ドイツ文学』96号)

第38回(1998年)

  • 縄田雄二: 「硬い接続」対 戦場のステレオ ――メディア時代の翻訳(『ドイツ文学』98号)
  • 大薗正彦: bekommen 構文の意味的展開と bekommen 受動(『ドイツ文学』98号)
  • 尾張充典: Konstruktion des Ich durch Sprache. Zu Kafkas Erzählfragment „Der Bau“(『ドイツ文学』99号)

第39回(1999年)

  • 高本教之: ホフマン流カプチリオ ―― 或いはイロニーの「運動の場」―― E. T. A. ホフマンの『ブランビラ王女』論(『ドイツ文学』101号)

第40回(2000年)

  • 尾張 睦: 王様と子供 ―― W. ベンヤミンにおけるドイツ・バロックと幼年時代の関わりについて(『ドイツ文学』102号)
  • 黒田 享: Die historische Entwicklung der Perfektkonstruktionen im Deutschen(Helmut Buske Verlag)

第41回(2001年)

  • 嶋﨑 啓: ドイツ語現在完了形の通時的展開について(『ドイツ文学』105号)

第42回(2002年)

  • 山本賀代: 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』における文学の自己省察(『ドイツ文学』106号)

第43回(2003年)

  • 大塚 直: 若きボートー・シュトラウスと来たるべき演劇のプログラム(『ドイツ文学』108号)
  • 大野寿子: グリム兄弟における理念としての「森」(『九州ドイツ文学』16号)

第44回(2004年)

  • 泉谷千尋: クンドリーエの弾劾とパルチヴァールの「罪」(『ドイツ文学』110号)
  • 岡本和子: 芸術形式としての象徴 ―― W. ベンヤミン『ゲーテの「親和力」』を手がかりとして(『詩・言語』58号)

第45回(2005年)

  • 海老根剛: Ekstasis. Zum Massendiskurs in der Weimarer Republik(『ドイツ文学』118号)
  • 濱中 春: Körper und Sinne in der deutschen Gartenliteratur um 1800(『ドイツ文学』118号)

第46回(2006年)

  • 稲葉治朗: Zur Asymmetrie zwischen koverter und overter Bewegung(『ドイツ文学』124号)
  • 西岡あかね: Wirklich eine Entgrenzung zwischen Kunst und Leben? Neopathetisches Cabaret und die historischen Avantgardebewegungen(『ドイツ文学』122号)

第47回(2007年)

  • 粂田 文: A. デーブリーンと都市群衆の諸相 ――『ベルリン・アレクサンダー広場』と『1918年11月』を手がかりに(『ドイツ文学』130号)
  • 武田利勝: 絵画と文学の〈境界〉,あるいは〈輪郭〉―― アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの『挿絵論』(『ドイツ文学』127号)

第48回(2008年)

  • 川島建太郎: „Umbrien! Tumbrien! Kackien! Alles Ruinen!“ Über Rolf Dieter Brinkmanns Rom, Blicke(『ドイツ文学』133号)
  • 高橋亮介: Wann und inwieweit ist der Dativ nicht auf die Kodierung der Personen beschränkt?(『ドイツ文学』131号)
  • 筒井友弥: Zur Funktion der Abtönungspartikel „mal“. Anhand eines Vergleichs mit der japanischen Gradpartikel „chotto“(『ドイツ文学』131号)

第49回(2009年)

  • 熊坂 亮: Zur „zum-Konstruktion“ im Zürichdeutschen(『ドイツ文学』137号)

第50回(2010年)

  • 福岡麻子: Der Sieg des Kapitalismus und seine Folgen in Österreich. Jelineks Reaktion auf die „Post-sozialistische Situation“ in Raststätte oder Sie machens alle(『ドイツ文学』139号)
  • 宮崎麻子: Der Topos Sibirien in der Erinnerung an die DDR(『ドイツ文学』139号)

第51回(2011年)

  • 青木葉子: Reflexive Inchoativa im Deutschen und ar-Inchoativa im Japanischen. Das Antikausativ in lexikalisch-semantischer Hinsicht(『ドイツ文学』141号)
  • 西出佳代: ルクセンブルク語における補文標識の屈折(『ドイツ文学』140号)

第52回(2012年)

  • 井上百子: Im Tummelfeld der Sprache. Die Bedeutung des Akustischen in Elfriede Jelineks Sportchor(『ドイツ文学』143号)
  • 小林和貴子: Paradigmenwechsel des Hörens: „Fünf Mann Menschen“ von Ernst Jandl und Friederike Mayröcker(SWF 1968)(『ドイツ文学』142号)
  • 坂本彩希絵: 現実の不在から生まれる詩的言語 トーマス・マンの『幻滅』について ── ニーチェの言語観との関連から(『ドイツ文学』142号)

第53回(2013年)

  • 宇和川雄: 1930 年頃の「イメージ学」の原風景 ── ベンヤミンのクラーゲス読解(『ドイツ文学』144号)

第54回(2014年)

  • 西尾宇広: Eine „gebrechliche Einrichtung“ der Öffentlichkeit. Die Darstellung der ,öffentlichen Meinung‘ in Kleists Michael Kohlhaas(『ドイツ文学』147号)

第55回(2015年)

  • 金 志成: 「わたしは雲の上に行きたい」──ウーヴェ・ヨーンゾン『ヤーコプについての推測』における公的領域と私的領域をめぐって(『ドイツ文学』148 号)
  • 林 英哉: „War sie nicht mein […]?“ Die Rhetorik der Melancholie in Hölderlins Hyperion(『ドイツ文学』149 号)

第56回(2016年)

  • 籠 碧: Die „Flucht ins System“. Die Skepsis gegenüber der Psychiatrie in Arthur Schnitzlers „Flucht in die Finsternis“(『ドイツ文学』151号)
  • 片山由有子: Stimme und Schweigen der Margaretha Ebner. Zum Verhältnis von Sprache und Mystik bei einer deutschen Nonne des 14. Jahrhunderts(『ドイツ文学』151号)
  • 橘 宏亮: Die Zerstörung als konstitutives Element der Staatsbildung bei Heinrich von Kleist in Bezug auf Rousseaus Contrat Social(慶應義塾大学藝文学会『藝文研究』109号)

第57回(2017年)

  • 坂本彩希絵:  „Quietismus“ und „Aktivismus“. Die sinnstiftende Funktion des gehörten Lauts als Leitmotiv in Thomas Manns Der Zauberberg(『ドイツ文学』153号)
  • 西尾宇広: クライスト『ホンブルク公子』あるいは解釈の力 ――1800年頃の法と文学をめぐる一局面(『ドイツ文学』152号)
  • 木戸繭子: Masken und Spiegel. Die Erzählstrategie in Thomas Manns autobiographischem Essay Im Spiegel(『ドイツ文学』153号)

第58回(2018年)

  • 稲葉瑛志: 「労働空間」と「広域」 ―― 30年代エルンスト・ユンガーとカール・シュミットの技術論と秩序構想(『ドイツ文学』154号)
  • 小林大志: Zur fehlenden Objekt-Lesart von Genitivkomplementen bei Nominalisierungen im Deutschen ― mit besonderer Berücksichtigung der primären und sekundären Kasuszuweisung(Linguistische Berichte. Sonderheft 24)
  • 寺尾恵仁: 反復されるフィグーア ―― クリストフ・マルターラー演出 『ムルクス』における歴史批判(『ドイツ文学』154号)

第59回(2019年)

  • 髙田 梓: „Lob des Schattens“. Christian Krachts „japanische“ Ästhetik in Die Toten(『ドイツ文学』157号)
  • 橋本紘樹: アドルノによる二つのハイネ講演,あるいは文化批判と社会(『ドイツ文学』156号)

第60回(2020年)

  • 髙橋美穂: Temporalität als Ableitung aus einer Räumlichkeit. Eine Fallstudie über die wegbezogene und die temporale Lesart beim Partikelverb durchfahren(Linguisten-Seminar: Forum japanisch-germanistischer Sprachforschung. Band1)
  • 二藤拓人: Zäsur im Schreiben. Zur Materialität des handschriftlichen Fragments bei Friedrich Schlegel(Zäsuren, Welt/Literatur)

第61回(2021年)

  • 田邉恵子:「カワウソのもとがわたしの家だった」―― ベンヤミン『1900年ごろのベルリンの幼年時代』における居住のモティーフ(『ドイツ文学』160号)
  • 益 敏郎: ヘルダーリンの詩作における多面性の構築について ――『七つの格言』と『パンと葡萄酒』(『ドイツ文学』160号)
  • 野添 聡: Otfrid von Weißenburg „Evangelienbuch“ における古高ドイツ語動詞接頭辞 gi- の研究(『ドイツ文学』160号)

第62回(2022年)

  • 大澤遼可: ノヴァーリスにおける統合的感官としての「眼」(『西日本ドイツ文学』第33号)
  • 鈴木啓峻: ドミトリー・メレシコフスキーを読むトーマス・マン ――「第三の国」における「エロス的禁欲」の位相をめぐって (『Germanistik Kyoto』第22号)

第63回(2023年)

  • 假谷祥子: ポエジーの<形象化> ――ノヴァーリスにおける象徴概念をめぐって(『ドイツ文学論攷』63号)
  • 覚知頌春: 低地ドイツ語における疑似並列(『ドイツ文学』164号)
  • 山取圭澄: Experiment zu einer ästhetischen Umwertung der Rhetorik. Eine Untersuchung über Winckelmanns Beschreibung des Torso im Belvedere zu Rom(『ドイツ文学』163号)