Nr.6 独検小史 (6)
2001年には振興会の役員交替により,理事長に井上修一が就任した。井上はウィーンの近代文学に造詣が深く,また財団法人の運営にも通じている。発足以来独検を支えてきたメンバーの一人だ。この時点で独検全般の責任を担っているのは,理事長と光野正幸と荻野蔵平の両理事である。学問的にも斯界の第一線に立つ研究者が,独検の運営も引き受けているのである。授賞式のパーティーで荻野が始めた受賞者への突撃インタヴューはめざましく,独検名物となった。
事務局では佐藤が退職したが,彼の薫陶を受けた3人の職員のチームワークは固い。その後,独検には今井が入局,4人態勢が確立した。一方事務局サイドがつねに頼りにしているのが,ドイツ語学文学振興会の嘱託・市村である。市村は独検発足のずっと以前から振興会の事務を担当して,状況の劇的変化に的確に対応してきた。役員の先生たちが任期制によって順次交替するなかで,市村の存在は振興会の持続性そのものである。独検の育ての母といっても過言ではない。その後,振興会事務には伊藤が加わり,独検事務局では中村が定年退職,その仕事を引き継ぐかたちで濱野が入局した。
2002年に独検は10周年を迎えた。ドイツ語教育界に,生涯教育機関として,独検はすっかり定着したと言ってよいだろう。独検では当初から各級の最年少合格者を表彰しているが,2001年度からは最年長合格者も表彰することにしたところ,いずれの級の該当者も70歳前後の高齢であり,なかでも春期4級の最年長合格者はなんと1913年生まれであった。ちなみに歴代表彰者のなかでの最高齢は90歳である。高齢者のなかには,実力維持のために繰り返し受験されているケースもある。
このような受験者の皆さんの熱意にも促されて,独検の関係者一同,独検を維持し発展させてゆく大きな責任を感じているところである。その点,全国のドイツ語の先生方の協力態勢が自然に出来上がってきたのはありがたいことである。また聞き取り試験と二次試験にはネイティヴ・スピーカーの先生方がいつも快く協力してくださる。さらに事務局には新しい機械処理のプログラムが導入され,その面でも改善された。なお,2005年には武蔵大学教授の光野正幸が理事長に就任した。
もちろん不安材料も課題もある。受験者数の伸び悩みはその最たるものだ。思えば独検が発足した1992年はドイツ統一の直後で,ドイツへの関心が高く,その意味ではタイミングがよかった。しかし近年ドイツ語は退潮ぎみである。一方中国語韓国語の学習が盛んであるが,それはかつての欧米偏重を是正する傾向として私たちも喜ばしく思う。ただ振り子があまり逆方向に振れすぎてもいけない。かつては毎年ほぼ24万人の大学生がドイツ語の学習を始めた。それはもう規準にならないけれども,日独の宿命的な縁の深さや今後のヨーロッパにおけるドイツの役割の重要さを思うとき,独検の受験者数がせめて毎年1万5千というレベルを維持できるようにと願うのは,あながち無理なことではないだろう。
さしあたり2006年ワールドカップのドイツ大会を機会に新たなドイツ語ブームが巻き起こるといい。ドイツ語を勉強し,みんなでドイツへ行って,ドイツ人との交流の輪を広げ,新時代の日独相互理解の基盤を打ち建てられるといい。願いはいやがうえにも高まった。