2026/11/06
Nr.90 私の学生時代 (5) 専門課程 (後編)
工藤 康弘(関西大学特別契約教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会元理事)
私が3年後期になると,新しく独文に入ってきた後輩3人を引き連れて歩くようになった。同じように大学生協で飽きもせず話し込んでいた。私自身は文学おたくではないので,いったい何をそんなにしゃべっていたのだろう。ともあれ3人の後輩はずっと付き合ってくれていたので,私は先輩としての役割は果たしていたのだと思う。
昨今の学生はよく授業を休む。学生時代の私についてはもう覚えていないが,欠席が少なかったことは,当時のS教授とのエピソードからわかる。一度授業を休んだことがあった。その後1ヶ月くらいずっとS教授の嫌味を聞かされた。「工藤,お前あのときいなかったからな」「あのとき欠席したからわからないんだ」と何度も言われた。これではとても欠席なんかできない。
当時は父親が秋田に転勤になり,母親はそちらにいったので,私は弟と自宅で自炊生活をしていた。子供を置き去りにしてと思うだろうが,大正生まれの父親は典型的な亭主関白で,家では縦のものを横にもしない人なので(怠け者という意味ではない,男子厨房に入らずである),いたしかたなかったのだろう。弟は洗濯と風呂沸かし,私は食事作りと分担して生活していた。詳しくは覚えていないが,単調な生活をしていたと思う。午前で授業が終われば,公園などで寄り道し,ぼんやり遠くを眺めながら来し方行く末を考えていた。これは大学院以降顕著になり,何かといえば田んぼを眺めて物思いにふけっていた。すっきりしたところでまた家に帰り,ドイツ語と向き合う。週1回,夜に家庭教師に行っていたが,それ以外は授業に出るか,独文の仲間と語らうか,沈思黙考するか,ドイツ語と格闘するかである。たまに山形へ戻ってくる母親から「お金をやるから,旅行にでも行ってきたらどうだ」と言われても断っていた。語彙やドイツ語文の暗記をするなど,根を詰めているように見えたのかもしれない。ここでこのコラムの冒頭(Nr.84 私の学生時代 (1) 教養課程)に戻るが,昨今の学生はなぜか忙しそうに見える。学生時代の私は基本暇であった。勉強は忙しかったが,精神は自由に飛翔していた。だから,何日の何時に集まれと教授に言われれば,予定表など見ることはない。即座にわかりましたとなる。大学生である。勉強以外,何をすることがあるだろうか。