コラム

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2026/02/17

Nr.81 バイロイト・エアランゲン(2)

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)


バイロイト辺境伯の領地は東西に分かれていて,その西側部分の中心がエアランゲン市であり,ここはフランスからの新教徒移民ユグノー(ドイツ語ではフゲノテ)の受け入れのために造られた新しい計画都市であることを紹介しました。エアランゲンにはもうひとつ触れておきたいことがあります。それはここが大学町であるということです。

エアランゲンに本部を置くエアランゲン=ニュルンベルク大学(正式名 Friedrich-Alexander Universität Erlangen-Nürnberg)は,元々は1742年にバイロイト辺境伯によって設立された伝統ある大学ですが,20世紀後半にお隣のニュルンベルクにあった二つの単科大学を併合して今の名称になりました。むろん長らく単に「エアランゲン大学」という名前で知られていました。

一方バイロイト市には今日バイロイト大学がありますが,こちらは1975年に新設された大学です。新しいという特徴を生かして,従来のドイツの大学にはない新分野や学際的教育に力を入れています。たとえば異文化コミュニケーションを軸にした新しいメソードの提唱で知られるドイツ語教育学は,学習者の文化的特性を積極的に生かす立場を取っており,日本人など異文化環境で育った人達には大きな意味を持っていると言えます。またアフリカ研究ではドイツ全体のセンター的な位置にありますし,地球学,地理学や体育教育学でも有名です。

上でエアランゲン大学の創立年を1742年と書きましたが,実はこの年に造られたのはバイロイト市内に置かれた貴族の子弟の教育機関でした。この初代のバイロイト大学は,たった1年でエアランゲンに移転となり,以後約200年間バイロイトには大学がなかったわけです。なぜ辺境伯のお膝元のバイロイトから大学が出ていったのでしょうか。歴史資料には面白い記述があります。それは,学生の態度が悪すぎて,市民から苦情が殺到したためなのです。酒に酔っての乱暴や大声での放歌高唱といったことなのですが,特権階級やエリートの若者の無軌道ぶりは,明治時代の日本でも問題になっていたようで,いずこも同じ現象のようです。今の日本でも皆無とは言えないかもしれませんが。バイロイトの資料では直接言及されてはいませんが,ドイツの学生と言えば決闘がお決まりの通過儀礼で,どの大学町にもダンス教室と並んで剣術道場があってにぎわっていました。新入生は頬に傷を付けてからでないと先輩に付き合ってもらえなかったとまで言われています。特に同郷の先輩とつながることは,卒業後の就職の際に必要でしたので,学生達は痛みをこらえて稽古に励んだわけです。

エアランゲン大学の方は300年近い伝統を誇り,今日でもドイツでトップクラスの地位を保つ大学です。有名な出身者としては,有機化学の確立者として知られるリービヒ(Justus Freiherr von Liebig)や19世紀前半の芸術至上主義的作風で知られる詩人プラーテン(August Graf von Platen-Hallermünde),電流に関する法則で有名な物理学者オーム(Georg Simon Ohm)などがいます。