2025/06/30
Nr.78 バイロイト(2)
武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)
バイロイトの領主の称号は「バイロイト辺境伯」でした。
辺境伯(Markgraf)というのは,フランク王国時代新たに服属した遠方の土地を治めさせるために派遣した臣下のことで,強い権限を与えられ,中央王権に対して独立性が強かったといわれています。日本でいえば,太宰府に似ているともいえますね。時代が下がるにつれて辺境伯は単なる称号と意識されるようになり,特定の家系に継承されるようになっていきます。なので,「バイロイト辺境伯」といっても,バイロイトの領国がドイツの辺境に位置する,という認識は領主にも領民にもなかったと思われます。もっとも,バイロイト領は今日のドイツ国土のほぼ中央に位置するとはいえ,町が建設された中世初期には,すぐ東側はスラブ系のチェコ人の居住地でした。バイロイト市内の地名にはチェコ語由来と思われるものが残っているようですし,また今日でもバイロイトからチェコ共和国の国境までは60キロ程度しかありません。このあたりには旧東ドイツ領と西ドイツ領の間に現在のチェコ(当時はチェコスロバキア)領が角のように入りこんでいるので,1989年の東欧共産圏の崩壊時には,東西ドイツ国境を避け,いったんチェコ領に入って,先に管理が緩くなっていたチェコと西ドイツの国境を超えて,徒歩で西ドイツに渡ってくる人がいて,テレビで話題になっていました。
中世にはバイロイトの周辺,すなわち上フランケン(Oberfranken)地方には丘陵地に森林が広がっており,ところどころに他地方から移住してきた人々が切り開いた農地が点在していました。バイロイトもそんな場所の一つで,その地名は「バイエルン人の開墾地」という意味のようです。南ドイツには語尾が -reuth となる地名が他にもいくつかありますが,これは「開墾する」という意味の動詞 reuten からきており,この動詞はその後北ドイツでは roden という動詞に置き換わっています。
さて,バイロイト辺境伯の領地は東西に長く,間に帝国自由都市のニュルンベルクを挟んで,東側はオーバーラント(Oberland),西側はウンターラント(Unterland)と呼ばれる二つの部分に分かれています。オーバーラントは首都であるバイロイトを取り囲む地方ですが,ウンターラントの中心は17世紀に建設された新しい都市であるエアランゲン(Erlangen)でした。この町については興味深い話題がありますので,別立てで取り上げることにしたいと思います。