2025/04/18
Nr.77 歴史の中の言葉(「独検2025夏」受験要項より)
粂川 麻里生 (慶應義塾大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事長)
現代は,世界中が社会的地殻変動を起こしているかのような時代になってまいりました。第二次世界大戦を経て確立された世界秩序は至るところで綻びを見せ,暴力や威嚇による現状変更がまるで正当なことであるかのように行われています。環境保全も,平和構築も,人権保護も,通商ルールの確立も,「国際社会」にとって待ったなしの課題であるはずですが,そもそも国際社会というものがまだ存在しているのかどうかさえ疑わしい現状です。社会的状況だけでなく,自然環境自体も変動期に入ってしまっているようです。とりわけ,われわれの暮らす東アジアにおいては大規模な地震がしばしば起きますし,気候変動も著しく,猛暑や極寒,豪雨や豪雪,暴風なども,多くの事象が「観測史上最大」の激しさだと報じられています。
このような時代には,「情報」を集めることで状況を少しでも切り拓いていきたいと思うのが人情ですが,その情報にしても,インターネットの爆発的な発達によって,あらゆる事柄についてほとんど常に虚実入り混じった玉石混交の知識が飛び交うようになってしまいました。公的な機関や大手メディアの方が意図的に虚偽を報じることさえありますから,情報が多いからといって心強いということはあまりありません。そのように,世の中も自然も大変動,情報の世界も大混乱という中で,私たち現代人は葛飾北斎の有名な浮世絵「神奈川沖浪裏」で大波に揺さぶられる小舟の中で身を固めている人々のように,ひたすら不安に突き動かされています。
それでも,私たちは何の頼るものもなくなってしまったわけではありません。「言葉」を学ぶことには,さらなる希望もあるのです。日本語にしても,ドイツ語にしても,文字で残っているだけでも1000年以上の歴史があります。現代がどれほど困難な時代であるとしても,それらの困難は人類が初めて経験したものではありません。100年,200年,500年,1000年という長い時間の中で見るなら,必ずわれわれと同じ困難に突き当たり,それでも生き延びた人々の暮らしが見出されるはずです。「言葉」を単なる情報の容器として受け止めるのではなく,これを様々な角度から見つめ,味わい,受け止めていくことで,人類の大きな経験に自分たちを接続させることができ,苦しく難しい時代を生き抜いて,新しい幸福な文明を準備することさえ期待できるのでしょう。