コラム

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2025/03/21

Nr.75 バイロイト(1)

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)


バイロイト(Bayreuth)といえば,ヴァーグナー(Richard Wagner)の祝典劇場(Festspielhaus)が有名ですが,これ以外にも見所がたくさんあるたいへん魅力的な町です。

バイロイトは18世紀末まで,辺境伯(Markgraf)という称号の領主が治めていて,宮廷都市(Residenzstadt)の面影がよく残っています。しかも19世紀にはバイロイト辺境伯領はバイエルン王国に編入されてしまったため,それまでの遺産が変化を蒙ることなく,タイムカプセルのように今日まで維持されていて,ドイツの歴史を肌で感じ取れる貴重な場所となっています。

そんなバイロイトの伝統を体験するのには,辺境伯歌劇場(Das markgräfische Opernhaus)を訪れるのが最適です。ドイツ語圏には有名な歌劇場がたくさんありますが,18世紀以前の建物がいまだに現役で使われている例はあまりありませんし,またそういった場合でもたいていは19世紀以後に近代化が施されているので,当時のままの姿とは言えません。この意味でバイロイトの劇場は貴重で,ユネスコの世界遺産にも登録されています。

舞台周りに施されたバロック様式の華麗な装飾に目を奪われますが,舞台も桟敷も柱もみな木造で,見た目の豪華さとは対照的に,実際の演奏を聴くと,少しくぐもったような,優しい音が響きます。

18世紀の男性ソプラノ歌手ファリネッリを主人公にした映画『カストラート』(Farinelli, der Kastrat)の舞台シーンはここで撮影されました。少年時に去勢して大人になってもボーイソプラノで歌えるようにした歌手カストラートは,18世紀のヨーロッパでは大人気でした。バイロイトの宮廷にも一人雇われており,今でも宮殿には彼の肖像画が残っています。そのほかの歌手や楽器演奏家などについても,雇用に関する文書がバイロイト大学の図書館にはいくつか保存されています。他の宮廷に,腕がいいと評判のバイオリニストを譲ってくれないか,などという申し入れや,財政難のために今後はオーケストラの人数を減らす,などという内容の文書もあり,さらには当時のオペラの上演広告も興味深く,それらを読むと当時の宮廷世界の現実に触れたような気分になれます。

こうしたバイロイトの宮廷音楽を率いていたのがヴィルヘルミーネ辺境伯妃(Markgräfin Wilhelmine,1709-1758)で,音楽の才能に恵まれた彼女は,自身でいくつかのオペラを作曲したほか,チェンバロ協奏曲は今日でもCDで聞くことができます。

彼女はベルリンのプロイセン王家からバイロイト辺境伯家に嫁いできた人で,有名なフリードリヒ大王のお姉さんにあたります。そんな彼女のもとで,音楽に限らず建築分野でも18世紀のバイロイトには「バイロイトロココ」(Bayreuther Rokoko)と呼ばれる独自の宮廷文化が花開きました。このことについては,さらにそのほかの興味深いことと合わせ,次回以後お話ししたいと思います。