2024/11/13
Nr.74 ミュンヒェンの下町(2)――ゲイタウンの話
武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)
前回紹介したように,M さんは五階建てのビルを所有していて,最上階がご一家の住まいとなっています。狭いながらもベランダがあり,ホームステイ中の私が夜遅く帰っていくと,ここに置かれたテーブルを囲んで,近所の人が集まってビールを飲んでいる光景をよく目にしました。ジョン・レノンに似た風貌の M さんがギターを片手にミュンヒェンの夜の空に向かって歌をうたっていたのを思い出します。
M 夫妻からあるとき,面白いところがあるから一緒に行こうと誘われました。ゲルトナー広場の近くにある,とあるバーが目的地でした。入り口の敷居にはレインボーカラーのカーペットが敷いてあります。中央のカウンターにたむろして立ち飲みしているのは,中年や初老の男性客ばかり。みなウィスキーやカクテルの杯を傾けています。皮のジャンパーを羽織ったり,半ズボンから太股をあらわに出した人もいて,ちょっと独特のムンムンした雰囲気が漂っていました。M さんが耳打ちしてくれたところでは,ミュンヒェン大学の教授も何人かいるとのこと。そう,ここはいわゆるゲイバーなのです。中でもこの店は,映画監督の X 氏(ファスビンダーかヘルツォークか,忘れました。)も常連だったので有名なんだそうです。私達は店の隅のテーブル席に坐って,大人しくビールを飲みました。こんなお店に奥さん連れで来る M さんにもちょっと驚きましたが,奥さんご自身も,二人でよく来るけど,別に何の抵抗感もない,とおっしゃっていました。
店を出てから,夜のゲルトナープラッツを散策しましたが,夜もだいぶ更けた時刻にもかかわらず,通りは大勢の人でごった返しています。劇場の正面の広い石段の上には若い人達が坐り込んで,談笑しています。格調高いギリシャ風ファサードの前では,ジーンズや T シャツの若者達も,プラトンの弟子のように見えてくるのが奇妙です。奥様が私の裾を引っ張って,いますれ違った人はもと男性よ,と小声で教えてくれました。振り返ると,すらりとしたモデルのような人の後ろ姿が見えました。
ゲルトナー広場周辺はドイツを代表するゲイタウンで,日本でいえば東京の新宿二丁目のような町なのです。ドイツ語でゲイのことを形容詞で schwul といいます。これとよく似た schwül は「蒸し暑い」という意味ですが,もともとウムラウトしない schwul という形で低地ドイツ語で使われていた単語が17世紀以降標準ドイツ語でも使われるようになり,対義語の kühl(涼しい)の影響でウムラウトして今の形になりました。一方19世紀になって古い形の schwul にゲイの意味が加わりますが,これは男性同性愛の相手のことを ein warmer Bruder(暖かい兄弟)と言う習慣があったので,その連想から成立したようです。ドイツの大学に行くと掲示板にさまざまなグループの勧誘広告が出ているのを目にしますが,Judoclub für Schwule(ゲイのための柔道クラブ)などというポスターもありました。
Party という言葉は日本語の「コンパ」のように若者達の飲み会を指す場合があり,そんな目的で人々が集まってくる場所を Partymeileと 呼ぶのですが,ゲルトナー広場周辺はドイツの代表的なPartymeileになっているようです。夜中に大声をあげて通りを練り歩いたり,飲み物の瓶を割ったり,ゴミを散らかしたりと,地元の人にとっては迷惑この上ないので,最近では週末になると毎晩警察が人々を広場から追い払い,路上での飲酒は罰金が課されるようになっています。
20年前に M さんご夫妻にお世話になってからもうだいぶ時がたちます。今となっては何か夢の中の出来事のような気さえしますが,あのときミュンヒェンのディープな世界に触れることができたことは,ドイツに対する,あるいは広く世界に対する私の考え方に大きな影響を与えていると改めて思うところです。