コラム

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2024/09/25

Nr.73 ミュンヒェンの下町(1)――ゲルトナー広場

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会評議員)


前回お話しした建築家ゲルトナーの名を冠したゲルトナー広場 Gärtnerplatz がミュンヒェンの下町の中心にあり,この広場に面してゲルトナー広場劇場 Gärtnerplatztheater が建っています。王宮に隣接するバイエルン国立歌劇場 Die Bayerische Staatsoper が貴族や上流市民のためのオペラハウスであるのに対し,こちらは庶民向けの劇場として民間資金で建てられ,こけら落としは1865年でした。今日では国立歌劇場とともにバイエルン州の管理する公立劇場となっています。ゲルトナー広場劇場はどちらかというと,若手の歌手やバレエダンサーによる上演が多く,またオペレッタも多く取り上げられているほか,新進作曲家の作品の初演もこの劇場で行われることが多いようです。

このゲルトナー広場のあるあたりは Isarvorstadt と呼ばれるイーザル河畔の低地です。ミュンヒェンの地図を見ると,かつての城壁のラインである環状道路が,中心市街地の東南側で大きくくびれていることに気付きます。これは旧市街が乗っている台地がここでえぐれているためで,洪水のときなど水流がこのあたりまで押し寄せてきたことを物語っています。このくびれの北のどん詰まり,回転人形のからくり時計で有名な新市役所 Neues Rathaus のあるマリーエン広場 Marienplatz のすぐ下のあたりは,屋台がならぶヴィクトゥアリエン市場 Viktualienmarkt になっていて,ここでソーセージやハムなどを買い込んで,近くの公園のベンチでビールを飲みながら食べるのはなかなかおつなものです。このあたりから南側が Isarvorstadt になります。

そもそも Vorstadt という言葉は独和辞典では「郊外」などと訳されていますが,ドイツ語で連想されるのは決して東京の新興住宅街のようなところではなく,都市を囲む城壁の外側に市民の資格を持たない人々が勝手に住み着いた場末,あるいはスラム街というイメージです。フランス語の faubourg もやはり同じような場所を指す言葉で,faubourien というと貧民街に住む労働者のことです。ドイツ語でも Vorstadtkneipe というと,場末の居酒屋を意味します。

今日でこそ Isarvorstadt は近くに有名なドイツ博物館 Deutsches Museum やヨーロッパ特許庁 Europäisches Patentamt など立派な施設もあり,またゲルトナー広場からは放射状に大通りが広がり,19世紀のドイツ帝国発展期,いわゆる「創業者時代」Gründerzeit の建物が軒を連ねるおしゃれな雰囲気の地区になっています。しかしこうした都市計画が施行される前は,砲兵部隊の駐屯地,売春宿,隔離病院などが置かれ,また屠殺場 Schlachthaus があったために食肉業者が集住し,彼らの多くはユダヤ人だったようです。

私は20年ほど前に,この Isarvorstadt に住むご家族のところにホームステイでお世話になったことがあります。ご主人はちょっとジョン・レノンのような風貌のひょうひょうとした人でした。ここでは仮に M さんとしておきます。奥様は小柄で小顔の女性で,最近戦争が起こってからテレビでウクライナの人々の姿を見るようになって,どうやら彼女はあのあたりの出身だったのかも知れないと気付きました。ご一家は Gründerzeit に建てられたと思われる5階建てのビルを所有しており,自分たちは最上階に住んでいて,下の階は賃貸に出しています。表通りに面した1階,ドイツ語では「地上階」を意味する Erdgeschoß には今は商売をやめている小さな店舗があり,M さんのお父さんがここで豆本の制作と販売をなさっていたのだそうです。これは1センチにも満たないような小さな,しかし完璧な製本の,きちんと文字も印刷されている書籍で,M さんは Liliputbuch と呼んでいました。こんな商売も,Isarvorstadt にはふさわしいのかも知れません。