コラム

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2024/04/19

Nr.70 言葉は歴史とともに(「独検2024夏」受験要項より)

粂川 麻里生 (慶應義塾大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事長)


言葉というものにもそれぞれ歴史があって,「始まり」も「終わり」もあります。ドイツ語やフランス語は,4世紀に現在のヨーロッパ東部から大挙して移動してきたゲルマン諸部族の言語と文化が,ケルトやローマをはじめとする先住民たちと混ざり合い,8世紀の後半ごろにはだいたいの形ができてきたと言われています。ただ,この頃のことは,よくわかっていません。西暦800年ごろまで,ゲルマン人たちはほとんど文字を使っていなかったのですから。文字というものは,広大な地域にまたがる大帝国が成立して初めて使用されるようになることが多いようですが,小集団でまとまることを好んだとされるゲルマン民族には「不要」に思えたのかもしれません。

けれども,西暦800年,現在のドイツ,フランス,北イタリアにまたがる大帝国「フランク王国」を作り上げたゲルマン人たちは,古代ローマ人たちが使っていた「アルファベット」という文字で自分たちの言葉を文章化するようになりました。それだけ広い帝国を運営するには,どうしても文書が必要だったからでしょう。同時に,ゲルマン人たちはラテン語を学び,古代ローマの古典も学び,ローマ帝国の最後の国教だったキリスト教に改宗しました。当時,地域をまとめる拠点,いわば村役場や県庁のような機能を話しうる場所があるとすれば,それはキリスト教の教会しかなかったからです。

しかし,これは当時としては大変なことだったでしょう。伝統的なゲルマン神話の神々を捨て,キリスト教という異教に宗旨替えしたのですから。ある意味では「罰当たり」なことです。けれども,そのようにすることで,「フランク王国」の王カールは,ローマ法王から「再興されたローマ帝国の皇帝」にも任じられました。そうして,ローマ的古代とゲルマン的中世が結びつくことで,4世紀以来400年以上続いていた戦乱と混乱の時代が終わり,「中世」と呼ばれることになる時代が始まったのでした。

皆さんが学んでいらっしゃるドイツ語は,そのようにして最初の形が作り上げられた言語でした。以来,1200年,ドイツ語という言葉の生命は大河のように流れ続けています。そこには,古ゲルマンの文化はもちろん,ローマ,ケルト,ギリシャ,その他色々な地域や時代の文化・文明が流れ込んでいます。ぜひ,そこから色々なものを汲み取ってください。そして,皆さんの人生と,この世界を豊かで平和なものにする力を見出していただければと願っています。