コラム

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2023/08/30

Nr.65 ネアンダー先生の谷

武井 香織(元筑波大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


今からざっと350年ほど前,デュッセルドルフにヨアヒム・ネアンダー(Joachim Neander)という人がおりました。もとは北ドイツのブレーメン生まれなのですが,カルヴァン派ラテン語学校の校長を勤めるために当地にやってきました。

当時のドイツは三十年戦争の荒廃から復興していく時代で,第二のルネッサンスとも言える文化の興隆期でした。南ドイツやオーストリアでは,イエズス会の活躍もあってカトリック教会が勢力を盛り返していましたが,一方北ドイツはルター派とカルヴァン派がともに伸張し,謹厳な精神性を示すプロテスタントの宗教文化の基礎が確立しました。

そんな時代にデュッセルドルフのプロテスタント信徒の精神的指導者となったネアンダー先生はオルガンの名手でもあり,先生の作曲した讃美歌は,今でも日本を含む全世界のプロテスタント教会で歌われています。

先生には郊外にお気に入りの場所がありました。そこは美しい緑の谷で,石灰岩の地層に特有の洞窟や滝が点在する神秘的な風景が広がっていました。先生はそこで思索にふけったり,詩を作ったりし,ときには町の人を招いて大自然の中で神の創造の業を讃美する集会を開いたりしました。そういうわけでデュッセルドルフの人々は後にこの谷を「ネアンダーの谷」と呼ぶようになりました。

ネアンダー先生は1680年結核のため30歳で死去してしまいますが,その176年後にあたる1856年,ネアンダーの谷である重要な出来事が起こります。このころドイツは急速に産業革命が進展し,デュッセルドルフを中心としたルール地方は一大工業地帯へと変貌していきます。ネアンダーの谷では石灰の採掘が行われており,その現場から今まで見たこともないような奇妙な人骨が発見されたのです。頭蓋骨はつぶれたように低く眉毛のあたりに隆起があるなど,普通の人間には見られない特徴が顕著でした。手足の骨は太く短く,前屈みになって歩いていたことが推測されました。ちょうどその頃ダーウィンの進化論が話題になっていて,イギリスの人類学者から現生人類とは別種の古人類であるとの説が提唱され,ネアンダーの谷で発見された人類との意味で,Homo neanderthalensis という学名が与えられました。日本では一般に「ネアンデルタール人」と呼ばれています。

ドイツ語で「谷」はTalと言います。古い書き方ではThalというスペルもあり,学名はこの書き方に拠っています。「ネアンデルタール人」とは,「ネアンダーの谷の人」という意味なのです。17世紀に大自然の中で神の創造の御業を讃美したネアンダー先生の足もとに,聖書の創世記の記述を覆す化石が埋まっていたというのは,なんとも奇妙な,あるいは絶妙な巡り合わせです。

ネアンダー先生が思索にふけっている牧歌的な谷,その美しい緑が掘り返されてむき出しになった石灰の地層,そこから出て来た人骨を分析する解剖学者の研究室。この3つの光景は,思想の国,工業の国,学問の国というドイツの3つの姿を典型的に現しているといえるでしょう。

ゲーテのファウストに地霊(Erdgeist)という地球上の一切の現象を支配し,時間という織物を織っているという魔物が出てきますが,ネアンダーの谷ではこの地霊がここに住み着いてきた人間達の過去の営みをホログラムのように見せてくれるかも知れません。その中には上に書いた近代ドイツ人の活動のほかに,ネアンデルタール人の闊歩する氷河期の原野の光景が加わり,この谷を訪れる人に時間の厚みを感じさせてくれているように,私には思われます。