コラム

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2022/06/21

Nr.61 ドイツ語技能検定試験に挑まれる皆様へ

公益財団法人ドイツ語学文学振興会


地球上を嵐が吹き荒んでいるかのようです。2年前に巻き起こった COVID-19 のパンデミックはいまだに収束の兆しも見せていません。一方で,2月末にロシア軍がウクライナ東部に侵攻することで始まった戦争も,多くの犠牲者を出しながらも,停戦への道筋は全く見えておりません。人間の国際的な往来は,まだまだ制限されていますし,日本からドイツに手紙や荷物を送ろうとしても,ほとんどの郵便は受け付けてもらえなくなってしまいました。世界はすっかり分断されてしまったように見えます。

こんな時代に,日本の津々浦々で,コツコツとドイツ語の勉強を続けておられる皆様に,心からのご挨拶とエールを送らせていただきます。言葉は,人間の持つ宝箱に残された最後の希望だからです。人間が行うあらゆる表現の中でも,言語だけは「否定の表現」が可能です。「テーブルの上にリンゴがある」ことを絵に書くことはできますし,「森の奥で小鳥たちが鳴いている」ことを音楽で描写することもできるかもしれません。しかし,「リンゴがない」ということや,「森で小鳥たちは鳴いていない」ことを絵画や音楽で表すのは難しいでしょう。言語だけが,「〜ではない」「〜がない」ことも表現できるのです。それは,「嘘が可能であること」とも表裏一体です。言語は,事実でないことも言い表すことができるのですから。それゆえ,言葉によって不幸になる人もいつの世も必ずいるのです。しかし,だからこそ「希望」もまたあります。目の前の現実がいかに冷厳なものであったとしても,それとはおよそ逆方向の事柄を言い表すことができるのです。

「誰もが平和で,自由で,豊かで,正しい勇気と,分けへだてのない愛に満ちあふれた世界」と,たとえば私たちは言うことができます。現在のような,人々も国々もちりぢりに遠ざけられた状況の中にあってもです。それは,今は現実ではありません。そういう意味では「嘘」かもしれません。でも,いつか「本当」になる可能性はあります。言葉は,今は不可能に思えることにも挑戦させてくれるものなのです。とりわけ,異言語を学ぶ皆さんは,ご自身の限界を押し広げているだけでなく,人間社会の限界を少しずつでも,確実に乗りこえてくださっています。

ドイツの大詩人ゲーテは,「世界文学(Weltliteratur)」ということを言いました。ゲーテの生きた18世紀から19世紀の初めは,現代の意味で言うところの「国家」というものが確立して(日本でも明治政府ができました),それぞれの国家単位で何でも考えられるようになっていった時代です。そんな中,ゲーテは「国民文学(Nationalliteratur)だけではなく,世界文学も必要だ」と叫んだのでした。彼の考えた「世界文学」は「国民文学」と敵対するものではありません。それぞれの言語による「国民文学」の中に,普遍的な「世界文学」が育っていってほしい,と言うのです。異なる言語の間で文学の交流が起って,言葉の翻訳が行われれば,各言語や各民族に特有の感じ方,考え方,そしてその表現の仕方が,少しずつ他の言語の中にも形成されるでしょう。そのようにして,それぞれの言語による文学がお互いを照らし合い,映し合う中で,それぞれの言葉の中に「世界文学」が成長していってほしい,そうなれば,世界のあらゆる文明がいずれは望ましい形で,それぞれの個性を保ったまま,ひとつのハーモニーの中でともに輝くことができるだろう,というのがゲーテの「世界文学」の思想でした。彼の思い描いた「世界文学」は,まだまだ全然姿を表しているとは言えません。けれども,その萌芽はすでに吹いています。ドイツ語を学ぶ皆さんは,一人一人,ゲーテの後輩です。皆さんが苦労しながら,ご自身のお考えをドイツ語で表現しようとするとき,またドイツ語で発せられたことを,どうにかして理解しようとするとき,皆さんの中にも「世界文学」が木霊しています。もしも,世界に平和が訪れるとしたら,それは誰か偉い政治家がなし遂げることではなく,異言語を学ぶ多くの人々によって達成されることでしょう。


※『独検過去問題集2022年版』まえがきより転載