コラム

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2020/04/30

Nr.57 Der liebe Augustin

富山 典彦(成城大学教授・公益財団法人ドイツ語学文学振興会理事)


中国の武漢の海鮮市場から広まったとされる新型コロナウイルスの猛威は,ほぼ全世界を覆い尽くし,なかでもヨーロッパやアメリカはあっという間に,感染者数も死者数も中国を抜いてしまいました。緊急事態宣言が出された日本も,これからどうなるのか,出口の見えないトンネルに入ってしまった感じです。

今からほぼ100年前,「スペイン風邪」と呼ばれる伝染病が流行しましたが,これはどうやらインフルエンザだったようです。そのことについて記憶はもちろん,知識もありませんが,ペストとコレラについては,自分の専門の関係で少し調べたことがあります。

ウィーンの中心部にはグラーベン Graben があり,ケルントナー通り Kärntner Straße やコールマルクト Kohlmarkt とともに,有名店が建ち並びいつも多くの観光客で賑わっています。このグラーベンのほぼ真ん中に,三位一体像が立っていますが,これはペスト記念塔とかペスト記念柱とも呼ばれています。バロック時代に流行したペストを克服できたことを,神に感謝するために建造されたものなのです。

さて,ウィーンの目抜き通りのグラーベンですが,Graben というのは「溝」という意味です。この名詞が「穴を掘る」という意味の動詞である graben と関係あるのは,すぐにわかると思います。古代ローマ帝国の時代にはたしかにここに溝があったということですが,ぼくはふと,「墓」を意味する Grab とのつながりを感じてしまいます。

ヨーロッパは現在でも火葬ではなく土葬ですから,3人に1人が亡くなったとされるペストの被害者を,きちんと土葬する場所も余裕もなかったので,遺体は次から次へと,あちこちに山積みにされたり穴に投げ込まれたりしたのでした。コロナウイルスで死んだ人たちの棺が,細長い穴の中に置かれている,ニュースで見たニューヨークの映像と重なります。

グラーベンの通りの起点にほど近いシュテファン大聖堂の中に入ると,時間が決められていますが,カタコンベ見学ツアーがあります。カタコンベというと,ローマ帝国時代に迫害されたキリスト教徒の墓を思い出しますが,どんなものかと興味をもって,その見学会に参加したことがあります。

シュテファン大聖堂の片隅の階段を地下に降りていくと,なんと,無数の骸骨が,ガラス張りの壁の向こうに見えるではありませんか。これらの骸骨はもちろん,ペストで亡くなった人たちです。どれほどの時間,これらの骸骨を見ながらグラーベンの地下を歩いたのか覚えていませんが,終着点はシュテファン大聖堂ではなく,華やかな目抜き通りでした。その極端な対比が,今も心に焼き付いています。

新型コロナウイルスもそうですが,もちろんペストも,それで亡くなった人と接触したら感染すると考えられていました。ところがなんと,ペストで亡くなった人たちの死骸の山に投げ込まれたのに,無事に生還した人物がいたのです。

当時のウィーンには,バグパイプ吹きのアウグスティンという芸人がいました。ある日,酒に酔ってしまい,そのまま通りで寝てしまったところ,夜回りの人たちにペストで死んだものと勘違いされて,ペストの死者の山に投げ込まれてしまったのです。

酔いが覚めて,ふと気がついたら,周囲はすべてペストの死者。びっくりしたアウグティンはあわててそこから飛び出したのでした。ペストの死者がよみがえった? ペストに感染することなく,ペストで亡くなった人たちの死体の山から生還したということで,アウグスティンはたちまち有名になり,Der liebe Augustin と呼ばれ,歌にまで歌われるようになったのでした。きっと,アウグスティン本人もバグパイプを吹きながら歌ったかもしれませんね。

毎日毎日,日本各地の感染者数がニュースで流れるたびに,暗い気持ちになってしまいます。大学も原則入構禁止ですから,授業はすべて遠隔授業になりました。大学教員歴42年目にして,まったく初めての体験をしなくてはなりません。この厳しく苦しい状況が一日も早く収束を迎えるよう祈りつつ,ぼくも頑張りたいと思います。