コラム

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2018/09/03

Nr.53 どっ,どっ,ドレミの歌?

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


ぼくの勤務している成城大学では,「成城学びの森 コミュニティ・カレッジ」という社会人向けの講座が開講されています。ここ数年ぼくは,ハプスブルク家の人たちのことを中心にして,身振り手振りにアドリブを加えて話をさせてもらっています。

今年がちょうど,ぼくの大学教員歴40年ということなので,大学のドイツ語教師としては恥ずかしいことに,超ベテランということになってしまいます。最初の就職先では新入生と間違われて,式場の入り口にいた職員に「新入生はあっちだよ!」と注意されたこともあったのですが,今ではもうどこから見てもすっかり老教授。

ここ数年,ゼミナールの学生たちから「先生,かわいい!」などと言われるので,娘にそのことを自慢げに話してみたら,「それはおじいさんという意味だよ」と教えてくれました。まったく風格のない老教授ではありますが,学生たちからみると「かわいい」おじいさん先生ということになるのでしょうか。

その老教授がコミュニティ・カレッジに行ってみると,ぼくより年上の受講生が半分以上もいるのです。ぼくとほぼ同世代の方々が3分の1くらいですから,ぼくより若い人はせいぜい6分の1程度。この講座の講師を始めた頃は,ぼくが一番若い,ということさえありました。

ぼくの最初の講座のタイトルは「ウィーンの笑い」。ウィーンのカバレット Simpl の台本作者 Hugo Wiener(1904-1993)の本をちょうど集めていた時期だったので,それを使ってみたのですが,タイトルとは裏腹にまったく笑えなかったという「お笑い」でスタートしたのでした。

その後いろいろな試みをして,ようやくたどり着いたのが「華麗なるハブスブルク帝国」。この間に,パワーポイントの作り方から話しの仕方まで,懇切丁寧にぼくを指導してくださった聴講生もいらっしゃいました。ぼくの母親と同年齢の男性で,かつては新しい術式を開発した心臓外科医だったとか。もうぼくの講座には参加されていませんが,それでもたまに成城の街でお目にかかることがあります。

これまでで最年長の受講者は,なんと1919年生まれ。「イクイクパリへ平和の使い」と暗記したヴェルサイユ条約の年です。豆知識ですが,ヴェルサイユ条約はドイツと連合国との条約で,ドイツ帝国の同盟国だったオーストリア=ハンガリー二重帝国のオーストリアはサンジェルマン条約,ハンガリーはトリアノン条約と,別々に和平条約を締結しています。連合国のうちとくにフランスにとって,ドイツとオーストリアが同じ「ドイツ人」として一つの国家になるのはどうしても避けたかったことなのです。

ぼくの講座を聴講してくださっている方々のなかに,つい最近聴講生になったばかりの,ぼくよりはかなり若い男性がいます。成城に住んでおられるので,和服に下駄履きで来られることもあれば,「ドイツ・オタク」を標榜するスタイルで来られることもあります。どうやらドイツのこと,とくにプロイセン王国のことについてはぼくよりずっと知識が豊富なご様子。

自分の名前をドイツ語に翻訳して Siegfried と名乗っておられていて,ぼくには Quellenfried という名前を授けてくださいました。Quellenfried von Reichenberg というのがぼくのドイツ名。貴族の称号である von を忘れないところがなかなかです。

そんな Siegfried 氏ですが,文字通り「目に入れても痛くない」小学校入学前の一人娘さんがいらっしゃいます。成城には,英語のネイティヴスピーカーの運営するプレスクールと称する英語学校がありますが,ドイツ一辺倒の Siegfried 氏は,当然そのようなものには目もくれません。

しかしある時,何を間違ったのか,フランス人の運営するフランス語学校に娘さんを連れて行ったのです。教室には,黒・赤・金ではなく青・白・赤の国旗が飾ってあったでしょうし,金髪のフランス人形なども置いてあったでしょう。娘さんは日常とは異なるその環境に戸惑ったのか,一言もしゃべれなくなってしまいました。

「お嬢さーん,なにかしゃべってみてくださーい」とフランス人の先生はやさしく語りかけるのですが,緊張はなかなかほぐれません。「それでーは,好きな歌を歌ってみてくださーい」と誘いかけるのですが,何度かそれを繰り返して,ようやく「どっ,どっ…」と歌い始めたのです。

ところで,「ドはドーナツのド,レはレモンのレ,……」という「ドレミの歌」は,日本でも子どもたちの愛唱歌になっていますが,この歌は,アメリカのミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)で,主役を演じるジュリー・アンドリュースがトラップ家の子どもたちを並べ歌わせたものです。7人の子どもたちですから,ちょうどド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シにピッタリ。

トラップ氏は,もとはオーストリア=ハンガリー二重帝国海軍の大佐。この厳格な父親と,母親を亡くしてから家庭教師の先生の言うことを聞こうとしない子どもたちのところへ,修道女見習いのマリアが何人目かの家庭教師としてやってきたのです。マリアはいろいろ苦労をしますが,歌を通して子どもたちと打ち解けていき,ついにはトラップ大佐と結婚するという楽しいストーリーです。

しかし,そのときちょうど,彼らの住むオーストリア共和国はドイツ第三帝国に呑み込まれようとしていたのでした。この映画では,みんなで楽しく歌いながら峠を越えてアメリカへの亡命の旅に出ていますが,はたして実際はどうだったのか。日本でも,テレビアニメ『トラップ一家物語』(1991年)として放送されているこのお話は,実話をもとにしているのです。

さて,話をもとに戻しましょう。「どっ,どっ」と歌い始めたお嬢さん,「ドはドーナツのド,レは……」と続けても,十分にドイツ・オタクの父親の娘であることを誇示できたのですが,なんと,そのあとに続いて出てきた歌詞はというと…… Deutschland, Deutschland über alles, über alles in der Welt!(「ドイツ国歌」です)。しかも,「マース川からメーメル川まで」という現在では削除されている歌詞も含めて正確に歌ったものですから,フランス人の先生が,「あなた,もうここへは来ないでくださーい!」と言ったのも不思議ではありません。

Deutschland über alles を「世界に冠たるドイツ」と訳すと,いかにもドイツ第三帝国の国歌にふさわしいのですが,ハイドンが作曲したこの歌にはいろいろ「歴史」があります。現在のドイツ連邦共和国ではこの歌の3番だけが国歌として認められていますが,この「歴史」については,また別の機会にお話しできればいいなと考えています。