2017/08/22
Nr.46 フォラールベルクってどこ?
富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)
ドイツ語で書かれた文学作品などドイツ語の本はすでにかなり翻訳されています。ぼく自身もあるドイツ語の本を翻訳して出版したことがあるのですが,活字になったものをもう一度自分で読み返してみると,ミスとまでは言いたくありませんが,あちこちに手を入れたくなる個所があって困ってしまいます。
また,同じ文学作品でも複数の翻訳が存在していることもあり,読み比べてみると訳す人の個性が出ていると言うべきでしょうか,ひとつひとつの表現はもちろん,作品全体の印象さえもが違ってくることもあります。ドイツ語を学んでいる皆さんは,是非ともドイツ語の原文を読んでみてください。
さて,今日の話は,ドイツ文学ではなくドイツ語圏の地理の話です。現在のオーストリア Republik Österreich は9つの州でできているのですが,スイスとの国境に Vorarlberg という州があります。ある訳本(その名前は忘れてしまいましたが)の中で,これを「フォラールベルク」と訳してあったのを見て,驚いてしまいました。
スイスとオーストリアの国境に Arlberg という山があり,その山の手前ということで Vor-Arlberg ですから,カタカナにすると「フォアアルルベルク」とすべきところ,訳者はそこまで意識せずに字面を見てそんな読み方をしてしまったのでしょう。
このフォアアルルベルク州は,スイスとオーストリアのチロル州の間にあるごく小さな州なのですが,なんとオーストリアから独立してスイスの州(スイスでは半ば独立した26の州を Kanton と呼んでいます)の一つになりたがっていることでも有名です。
スイスのドイツ語がいわゆる標準ドイツ語と比べて相当違っていることはよく知られていますが,そのスイスになりたがっているフォアアルルベルクのドイツ語はどんなものでしょうか。
ウィーンに留学していたとき,同じ学生寮にこのフォアアルルベルク出身の学生がいたのですが,珍しくきれいなドイツ語を話しているのです。ウィーンというと「ウィーン訛」と呼ばれる独特の発音で,ようやくその訛が耳になじんできた頃だったので,「君のドイツ語はどうしてそんなにきれいなのだい?」と聞いてみました。
すると彼は,「自分の国の言葉で話したらここでは誰も自分の言うことが理解できないからだよ」と答えたのでした。
「自分の国の言葉」といっても同じドイツ語だし,ウィーン訛が多少は聞き取れるようになっていた頃のことで,ein を「エィン」ウィーン訛風に発音してみて喜んでいましたから,「では君の国の言葉で何か話してみてよ」と頼んでみたのです。
彼の口から出た言葉は,何一つ聞き取れなかったばかりか,ドイツ語にさえ聞こえなかったのです。ということで,「フォラールベルク」と訳された方は,もしかしたらここの人たちがこのカタカナに近い発音で自分たちの「国」を呼んでいたことをご存じだったのかもしれないと,今さらながら思い返している次第です。