コラム

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2017/06/05

Nr.45 シェーンブルン宮殿の五芒星

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


都市伝説というのが最近あちこちで聞かれるようになり,それに興味をもっている方もいらっしゃることでしょう。かく言うぼくも,秘密結社であるフリーメーソンや薔薇十字団の本を読み漁ったこともあります。

モーツァルトがフリーメーソンの会員で,その秘密をオペラ『魔笛』Die Zauberflöte で明かしてしまったためにフリーメーソンによって殺害されたということが,まことしやかにささやかれることもあります。それも都市伝説のひとつでしょうか。

さて,そのフリーメーソンをウィーンに持ち込んだのは誰かというと,「女帝」として知られるマリア=テレジアの夫,神聖ローマ皇帝フランツ一世なのです。マリア=テレジアが6歳のときに,ウィーンの宮廷にやってきた15歳の少年フランツ=シュテファンに彼女は一目惚れ。その初恋が実ってこの二人は結ばれることになるのですが,フランツ=シュテファンはそのために故郷であるロートリンゲン(ロレーヌ)公国を捨てることになってしまいました。

マリア=テレジアと再会するためにロートリンゲンからウィーンにやって来る途中,ネーデルラント,イギリス,プロイセンなどを回ってきた彼は,ネーデルラントの都市デン・ハーグでフリーメーソンのロッジ(支部)に迎え入れられたのでした。

この時代のフリーメーソンは多くの有名人が入っていましたから,上流社会の社交界と考えてもいいのかもしれませんが,もちろん秘密結社ですから,決して外に漏らしてはならない秘密もあったことでしょう。

1736年2月12日にようやく結婚に漕ぎ着けた二人でしたが,このときマリア=テレジアは19歳,フランツ=シュテファンは28歳。1740年にマリア=テレジアの父である皇帝カール六世が死んで,ヨーロッパ情勢は大変なことになるのですが,そこは「女帝」と呼ばれるマリア=テレジアの手腕で切り抜けたのでした。ところがその夫はというと,1745年に皇帝フランツ一世になったものの,政治や外交は妻に任せてひたすら学問に生きたのです。

この当時の学問と言えば,世界中から動物や植物や鉱物などを収集すること,天文学や自然科学を研究することで,ウィーンの自然史博物館こそフランツ一世の収集の成果です。天文学とはつまり占星術で,自然科学とはつまり錬金術と言い換えてもいいでしょう。シェーンブルン宮殿には植物園とヨーロッパで一番古い動物園がありますが,これも皇帝フランツ一世の「学問」の成果です。

現在はパンダがいる動物園には1752年にできたパビリオンがありカフェになっていますが,その地下は皇帝が錬金術の実験に使っていた場所です。その証拠に床には五芒星の印が残っているそうです。五芒星は魔除けの印と考えられていました。安倍晴明の陰陽道と共通していますね。

マリア=テレジアの好きだった黄色い壁で有名なシェーンブルン宮殿ですが,その広い庭の一番高い場所にグロリエッテ*があり,少し丘を下ったところに動物園の入口,さらに下ると現在は馬車の博物館になっているヴァーゲンブルク,その並びにオランジェリー,そこから少し丘を登ったところにエジプトの象形文字が書かれたオベリスク,そして丘を上りきるとグロリエッテに戻るという,大きな五芒星によって宮殿全体が設計されているのです。

オーストリア継承戦争を皮切りに戦いの日々が続いたオーストリア。平和を求める妻の願いを,政治的には無能だった夫がこんな形で表したのかもしれませんね。

* プロイセンとの戦争の勝利とその戦没者のためにシェーンブルン宮殿の丘の上に建てられた記念碑で,現在はカフェになっています。ここからウィーンの街を一望することができます。