コラム

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2017/01/27

Nr.42 「壁」を越えてプラハには行きました!

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


ベルリンには行ったことがない,と告白してしまいましたが,プラハには行ったことがあります。しかも,最初にプラハに行ったのは,まだベルリンの壁があった時代のこと。その当時,ヨーロッパは「鉄のカーテン」で東西に分断されていて,今ではとてもできない経験をしました。そのことについて少しお話ししておきたいと思います。

ぼくがウィーンに留学したのは1984年,東西ヨーロッパが統合されるなど,とても考えられない時代でした。フランツ・カフカを研究していたぼくとしては,なんとしてでも「壁」を越えてプラハ(ドイツ語でいうと Prag)に行かなくてはなりません。

まず,ビザ Visum を手に入れる必要があります。シェーンブルン宮殿の近くにチェコスロバキア共和国(現在はチェコ共和国とスロバキア共和国に分かれていますね)の大使館があり,そこでビザを申請します。申請者の国籍によって,ビザの発行手数料が違うのですよ。ちょうどバブル時代にさしかかっていた日本人への手数料は,もしかしたら金持ちと思われていたのか,他の国の人たちと比べてかなり高額でした。

それから,ウィーンにあるチェコの国営観光局で,宿泊するホテルを予約しておかなくてはなりません。3日以内ならホテルなのですが,10日滞在の予定だと言ったら,ホテルではなく民家を紹介してくれました。ホテルより民家のほうが,10日間も滞在する外国人を「監視」するのに都合がいいのでしょう。

プラハ行きの列車は,Franz Josef Bahnhof から出ていました。国境では,2度停車します。オーストリア側は気楽なものでしたが,いざチェコに入ってみると,急に空気が重くなります。自動小銃をもった軍人がいるのですから。パスポートとビザ,それに手荷物のチェックは当然として,強制両替というのがありました。チェコの通貨であるコルナ(ドイツ語では Kronen)を,滞在日数分買わされるのです。それから,帰国に際しての諸注意を書いた紙が渡されました。余ったチェコの通貨は国外持ち出し禁止,それに,チェコで買ったお土産には,なんと税金が平均100%もかかる,などと書かれているのです。

プラハの街は,全体的に黒ずんでいて,いかにもカフカの街でした。ただひとつよかったことは,ドイツ語がよく通じるのです。街角で土産物を売っているお婆さんも,ドイツ語が上手でした。それどころか,プラハの人に「あなたはドイツ語が上手ですね」などとぼくが褒められる始末。

宿泊先の民家は,プラハの中心から地下鉄で少し下ったところにあり,なんと自家用車を所有している裕福な家庭。お互いドイツ語で話が通じるので,10日間の滞在の間に,なんとなく信頼関係ができたようで,「監視」の目はその厳しさを失っていきました。

神聖ローマ皇帝カール四世のときに宮廷がプラハにあったので,「プラハがヨーロッパの中心だったこともありますね」などと言ったら,その家の主人は急に真顔になって,「それは甘すぎる見方だ」と反論されて驚きました。たしかに,チェコの人たちの生きてきた歴史を考えると,納得できますね。プラハでドイツ語がこんなによく通じること自体,その厳しい歴史の産物のひとつなのですから。

今はもうないでしょうが,「ドル・ショップ」というのがあって,ここでは外貨でしか買物ができません。強制両替もそうですが,外貨をどう獲得するかということが,東ヨーロッパ諸国の課題だったのです。プラハの旧市街とフラチーン城とをつなぐカレル橋は,闇両替のメッカ。もちろんこれは犯罪です。

ぎっしりと思い出の詰まった10日間でしたが,さて,帰りの列車で,„Haben Sie tschechische Kronen?(チェコ・コルナは持っているか)“ と質問され,„Ja“ と答えたら,係官の表情が突然厳しくなりました。なにしろ,持ち出し禁止ですから。そこでぼくはポケットからコインを何枚か出して見せたのです。するとその係官は,笑って許してくれたのでした。

なにかと緊張の連続だったプラハからウィーンに戻って,いつものカフェで Melange を飲んでいたとき,ふと,いつもの Kellnerin が運んできたコーヒーのお皿に,砂糖の袋が2つあることに気付きました。プラハでは,砂糖は1つ。「鉄のカーテン」で仕切られた東西ヨーロッパの経済格差が,こんなところにもあったのですね。

プラハのレストランに入ったら,„Pivo!“(チェコ語でビール)などと言っていないのに,まずはビールが運ばれてきて驚きました。ビールの本場は実はチェコなのですが,ビールの話はまた別の機会に譲ることにしましょう。プラハのレストランのメニューに,50とか100とかいう数字が書かれているのですが,その数字の意味,わかりますか? ぼくも最初はなんだかわからなかったのですが,10日間の滞在でようやくその意味がわかりました。それは,なんと,その料理に用いられている肉の重さだったのです!