コラム

ここからページの本文です

2016/11/25

Nr.40 「ドイツ」で一番古い大学

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


現在のドイツ,ドイツ連邦共和国 Bundesrepublik Deutschland は,旧東ドイツ Deutsche Demokratische Republik を新しい連邦州 Bundesland に組み替えて,1990年10月3日に誕生しました。このドイツで一番古い大学はというと,1386年にプファルツ選帝侯ループレヒト一世によって設立されたハイデルベルク大学です。

さて,このコラムの見出しでは,ドイツにカギ括弧を付けましたが,なぜでしょうか。ドイツ語を学んでいらっしゃる皆さんには容易に見当が付くでしょうが,ドイツ語を公用語にしている国家は,ドイツ連邦共和国以外に,オーストリア共和国 Republik Österreich とスイス連邦 die Schweiz,リヒテンシュタイン侯国 Fürstentum Liechtenstein,さらにベルギー王国 Königreich Belgien とルクセンブルク大公国 Großherzogtum Luxemburg があります。

「ドイツ」をそこまで拡げて考えてみると,オーストリアのウィーン大学が1365年に創設されていますので,ハイデルベルク大学より20年以上も古い大学ということになります。当時のオーストリアは,神聖ローマ帝国の領邦のひとつで,ハプスブルク家のルドルフ四世公が領主をしていました。

建設公 der Stifter という「あだ名」を与えられているルドルフ四世は,ウィーン発展のためにおおいに力を尽くしました。ウィーンの中心に建つシュテファン大聖堂が,司教座のある大聖堂に昇格したのも,彼の功績です。ルドルフ四世の肖像画を見ると,神聖ローマ皇帝の帝冠のような冠を頭にのせていますが,これは残念ながら偽物です。

当時は,ルクセンブルク家のカール四世が皇帝で,その宮廷はプラハにありました。プラハというと,現在はチェコ共和国の首都ですが,当時はボヘミア王国の首都で,このボヘミア王国は神聖ローマ帝国の領邦のひとつでもありました。

カール四世は1356年に金印勅書を発布して,7人の選帝侯 Kurfürst を決めましたが,ハプスブルク家をこの7人から排除しました。ルドルフ四世にとってカール四世は,妻の父親ではあったのですが,このときばかりはハプスブルク家得意の婚姻政策も通用しなかったということでしょうか。カール四世のこの金印勅書に対して,ルドルフ四世は大勅許状を偽造し,ハプスブルク家が選帝侯よりも上位の貴族であることを主張しました。

さてここで,「ドイツ」で一番古い大学に話を戻してみることにしましょう。この事情から推測すると,ウィーン大学でないことは明らかですね。そうです,「ドイツ」で一番古い大学は,1348年に皇帝カール四世が創設したプラハ大学です。ルドルフ四世は,これに対抗して,ウィーン大学を設立した,ということです。

ただし,チェコに行って,「ドイツで一番古い大学はプラハ大学なんですってね」などとは,言わないでくださいね。プラハとウィーンとの確執については,また話題にする機会があるかと思います。