2016/10/12
Nr.39 ベルリンに行ったことがない?!
富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)
大学でドイツ語を教えるようになって,もうかれこれ40年になります。そんなぼくですが,なんと,ドイツ Bundesrepublik Deutschland の首都ベルリン Berlin に行ったことがない,などと告白したら,皆さんはどんな反応をされるでしょうか。
ドイツ語の先生なんてインチキなんだろう,と言われかねませんが,ぼくの専門はオーストリア文学で,オーストリア Republik Österreich の首都ウィーン Wien なら,何度も行ったことがあります。いいえ,行ったことがあるという程度のものではなく,大げさになりますが,ぼくの「第三の故郷」はウィーンだ,などと平気で口にしているくらいです。
ここに,日本文学を熱心に研究しているドイツ人の学者がいて,その学者の専門が平安朝の文学だとしたら,日本に来るときはいつも京都,江戸中期以降ようやく文化の中心になった東京には来たことがない……こんなドイツ人学者がいるかどうかは知りませんが,まあそういうことだと,とりあえずは言い逃れをしておきましょう。
ぼくがドイツ語を学び始めたときも,大学でドイツ語を教えるようになったときも,ドイツは西ドイツ=ドイツ連邦共和国 Bundesrepublik Deutschland(略してBRD)と東ドイツ=ドイツ民主共和国 Deutsche Demokratische Republik(略してDDR)に分かれていました。その理由については,たいていの方々はご存じでしょう。
ぼくは旅行が大好きで,学生時代は国鉄(現在のJR)の周遊券を買って,夜行列車で寝泊まりしながら日本国中を文字通り「周遊」しました。ドイツ語を教えるようになって,今度はユーレイルパスを買って,ドイツ国内を縦横無尽に旅して回りました。
ただ,このユーレイルパス,西はスペインやポルトガル,北はノルウェーの北極圏,南はイタリア南部からギリシャまで行けるのですが,当時ソ連の勢力圏にあった東ヨーロッパへは行けません。東ドイツもそちら側に属していましたから,ビザを取ったり別に交通費を支払ったりしないといけません。
その東ドイツの首都が東ベルリンで,ベルリンの壁で遮断されていた西ベルリンは,東ドイツの中にぽつんと置かれた,西ドイツの飛び地でした。ですから西ドイツの首都はベルリンではなく,ボン Bonn でした。
西ドイツと東ドイツとでは通貨も違っていて,西ドイツのドイツマルクと東ドイツの東ドイツマルクとは,公式には1対1の交換比率だったのですが,西と東とで戦後の経済発展に極端な差ができてしまったために,実質的には1対4くらいだったそうです。
西ベルリンから東ベルリンに日帰りビザで「入国」するとき,強制両替といって,1対1の比率で一定額を東ドイツマルクに両替しなくてはならない制度がありました。
この両替比率だと4倍も損をする,と考えてしまうかもしれませんが,西と東とで物価そのものが違いますから,この両替比率でもかなりお得,まして,入国してから手持ちのドルなどを「闇両替」などしたら「大儲け」,西から行った人たちは,東ベルリンで「豪遊」ができたそうです。もっともこれは違法行為で,見つかったら大変ですが。
そんな話をドイツ旅行の旅先で聞いたものですから,ますます東はぼくにとって遠い異国になってしまいました。その後,ベルリンの壁が崩壊し,東西ドイツが「再統一」して現在のドイツになって,ベルリンには自由に行けるようになったのですが,今も,日本からベルリンへの直行便はありません。といっても,ドイツの新幹線 ICE(= Inter City Express)を利用すれば,ドイツ中(というかヨーロッパ中)を縦横無尽に旅することができます。是非,ドイツの首都ベルリンにも行ってみてくださいね。