コラム

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2008/08/01

Nr.23 「ドイツ語のセンセイ」の恥ずかしい回想記 (2)

粂川 麻里生 (慶應義塾大学教授・独検実行委員)


GIジョーで遊んでいた頃の私の家は,完璧に「サザエさんち」でした。母の両親,私の両親,私,そして叔父(母の弟)がいたのです。しかも私のじつに元気な母は,買い物に財布を忘れたり,家具に味噌汁をぶっかけたりすることが得意で,たしかに「サザエさん」でした。「カツオ」にあたる叔父の「のぶちゃん」も,中学生の頃はランニングシャツに坊主頭の上に学生帽で,漫画のカツオそっくりでした。

違っていたのは,私に弟が生まれたことと,「マスオさん」のはずの父のキャラクターだったでしょうか。父は高校の柔道部の監督で,おそるべき雷親父であり,家族全体は『サザエさん』なのに父ひとりだけ「星一徹」なのでした。また,漫画と違って,「カツオ」ことのぶちゃんは少しずつ成長して大学生になりました。のぶちゃんは,地元の宇都宮大学の教育学部,教員養成過程で学んでいました。

当初は小学校の先生になろうとしていたのぶちゃんでしたが,学生時代にクラシック音楽に目覚めてしまいました。たしか,小学校の教員になる過程から,音楽の教員養成の課程に「転部」したのだったと思います。のぶちゃんの母,つまり私のおばあちゃんは,それがあまり気に入らないようでした。今から思うと,音楽の教師を目指すなんて,素晴らしい志望ではないかと思うのですが,当時の家庭内の雰囲気は,「のぶちゃんはちょっと“変わって”しまった」というようなムードが漂っていました。

まあたしかに,のぶちゃんは,ちょっと変わってしまいました。のぶちゃんが一番のめりこんだのが声楽でしたが,これの「練習」が子供の私にはとてつもなく異様なものに見えました。毎日,食事の時とごはんを食べている時以外は,ずっとピアノのある応接間で「ああ~~」と声を張り上げているのです。それも,いちおうクラシック独特の発声ですから,狭い家ではうるさい,うるさい。栃木の田舎の民家で行なうには,やはり常軌を逸した稽古だったと思います。

しかも,のぶちゃんは歌を一曲通して歌うことは滅多にありませんでした。たいていが,「ああーーーっ」という長ーい発声練習。それに続いて,「まいんへぇええええええるつっ,まいんへええええるつっ」という一節だけ,何度も何度も練習するのです。のぶちゃんには,これは「マイン・ヘルツ」という歌詞を歌っているくだりであり,「私のこころ」という意味のドイツ語だと教わりました。ですから,私が生まれて初めて覚えたドイツ語は “mein Herz” です。それにしても,「マイン・ヘルツ」だけを連日練習するとは,クラシックの歌曲とは,大変なものだと思いました。

「まいんへええええええるつっ」とがなっていない時は,のぶちゃんの部屋ではレコードの音楽が流れていました。彼のお気に入りだったのがベルリオーズ,とりわけ「幻想交響曲」でした。この交響曲は,私の家族とその周辺では,ひどく恐れられていました。私の両親は中学と高校の教師でしたが,当時問題になりはじめた「登校拒否」の生徒たちの多くが,この曲を聴いているというのです。「今度,登校しなくなった○○君も,“幻想”を聴いているらしい」,「まー,おそろしいわねー。やっぱり,“幻想”は聴かせちゃいけないわねー」そんな会話が,私の周辺ではかわされていました。こうやって,迷信というのは生み出されていくのですね。

ベルリオーズの「幻想」は,実際,妄想の中で恋慕する女性を殺しまた自分もギロチンで処刑され,地獄でまた彼女に会うという,狂気じみた情念が込められている曲でありますが,当時の私にそんなことが分かるわけもありません。ただ,「(のぶちゃんの歌の練習と同様に)うるさい音楽だな」と思っていました。

それにしても,当時の,私の周囲の人々の音楽に対する無理解は,ひどいものでした。ビートルズのことも,ほとんどの老若男女が「悪魔」だと思っていました。私の髪がちょっと耳にかかっているのを見つけた小学校の先生が,「おい,麻里生,ちょっと来(い)。そんなにだらしね頭してっと,ビートルズみたいになっちまうど」と言いながら,私の髪をひっぱったものでした。ビートルズを聴くのは,「不良」。母のところに遊びに来た中学生のお兄さんとお姉さんがいましたが,たまたまお姉さんの方が「ビートルズを好きで,聴いている」と“告白”したために,お兄さんの方が「君がそんな人だとは思わなかった」と,涙目になって批判を始めたのを覚えています。

私はといえば,「ビートルズは,野球チームなのに,歌も歌って,それが下手だから,こんなに皆に嫌われているのだろうか」などと思っていました。なぜなら,「タイガース」も歌っていましたし,父が「ビートルズは素人で,歌もなってない」と言っていたからです。とにかく,私の周辺では「ベルリオーズ」と「ビートルズ」は,青少年を悪の道に誘い込む,恐るべき存在でした。

そんなある日,のぶちゃんが私と二人きりの時,「麻里生も音楽が好きかい?」と聞いてきました。当時の私は,それほど音楽は好きではありませんでした。無理やりピアノを習わされていたので,毎週日曜の午前中はピアノの先生のところにいかねばならなかったからです(とはいっても,私のやる気のなさに先生もあきれたか,レッスンのほとんどの時間は音楽と関係のないおしゃべりに費やされたのですが。小一から6年間レッスンに通って,バイエルの途中どまりでした)。しかし,のぶちゃんがこれほど情熱を傾けている音楽を,「いや,それほど好きじゃないけど」とも言いにくい気がして,私は「うん……,好きだよ」と答えました。

「好きな作曲家はいる?」「……シューベルトかな?」なぜなら,小学校の音楽室の壁に貼ってある音楽家の肖像を見ますと,ベートーヴェンやバッハは怖いし,ヘンデルはおじさんなのかおばさんのか分からなくて不気味だし,シューマンは首を傾げて暗く悩んでいるし,ブラームスはつまらなそうなおじいさんだったのに対し,シューベルトは喜劇役者のような風貌で,好ましかったからです。それに,のぶちゃんもシューベルトのように眼鏡をかけて,ちりちりの髪の毛を生やしていた(当時)からです。

「シューベルトか!シューベルトのどの作品が好きなの?」,「『冬の旅』……かな?」なぜ,私がそう答えたのか,今ではもう思い出せません。だいたい,当時の私が,シューベルトの歌曲集をきちんと知っているはずがないのです。ただ,のぶちゃんが「へえー,『美しい水車小屋の娘』とかじゃないんだ。『冬の旅』とは,麻里生らしいねえ」と答えたのは覚えています。その時,内心で「“美しい水車小屋の娘”が好きな小学生なんて,軟弱な感じじゃないか……」と思ったことも。それにしても,のぶちゃんはなぜ「麻里生らしい」などと言ったのでしょう。ひょっとすると,当時私が,子供によくあるように,「死」の観念に取り憑かれていたことを,のぶちゃんも知っていたからかもしれませんが,よく分かりません。

その年の私の誕生日,私は『冬の旅 ──ハンス・ホッター・イン・ジャパン』というLPレコードをのぶちゃんからプレゼントされました。私にとっ て,初めての「自分のレコード」です。「シューベルトと言えば,今はフィッシャー=ディースカウなんだけど,『冬の旅』は,彼の甘い声と完璧な技巧では,いまひとつ合わない気がするんだよね」などと言いながら,のぶちゃんはレコードをくれました。ジャケットを見ると,子供の目にはフランケンシュタインのような人が,ピアノの脇に立って歌を歌っていました。

そんなわけで,私が初めてそれと分かって聴いたドイツ語の歌は,『冬の旅』です。しかも,硬骨のバリトン歌手ハンス・ホッター……。我ながら渋すぎる音楽デビューでした。けれども,このレコードを何度も何度も聴くうちに,シューベルトのメロディ,とりわけ「菩提樹」のそれとドイツ語の響きが,私にとって近しいものになっていったような気もします。

のぶちゃんも,今年度一杯で,県立高校の音楽教師を定年になります。おばあちゃんに「出来が悪い息子」呼ばわりされ,娘にも(校長や教頭にならなかったから)「だめおやじー」(半分以上冗談だとは思いますが……)呼ばわりされながらも,音楽教師一筋だったのぶちゃん。指導する高校の合唱部は,今年 のコンクールでは Robert Schumann の “Der Wassermann” という女性合唱曲を歌うそうです。「一度,詩について講義にきてよ」と言われています。私は詩はまったく専門ではありませんが,のぶちゃんの最後のコンクールですから,何か高校生たちの思い出に残る話がしたいと思い,最近にわか勉強をしているところです。