コラム

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2008/04/15

Nr.21 ドイツ語圏 (11) オーストリア (9)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


前回は古いオーストリア映画『たそがれの維納』の一場面をご紹介し,Dur という名前の語頭音が ⁄t⁄ とも ⁄d⁄ とも聞こえる例を取り上げました。この語頭音がそのどちらなのか確認しようとして,質問者は語頭音が「硬い(hart)」のか「柔らかい(weich)」のか」という問い方をしていましたね。「硬い」音ならば Tur,「柔らかい」音ならば Dur になる,というわけです。hart には「硬い」,「緊張した」,「張った」などの訳語をあてることができますし,weich には「柔らかい」,「軟化した」,「ゆるんだ」などの訳語をあてることができます。ご承知のように,⁄t⁄ と ⁄d,⁄p⁄ と ⁄b⁄,⁄k⁄ と ⁄g⁄ のペアは,発音の場所とやり方はそれぞれ同じで,違いはただ,呼気が声帯を振動させるかどうかにあります。無声の子音 ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ の場合は,声帯が振動しない分,呼気の勢いが強く,発音器官である舌や唇の緊張が強いのに対し,有声の子音 ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ の場合は,声帯が振動する分,呼気の勢いが弱く,舌や唇の緊張もゆるんでいます。この意味で,発音器官の筋肉の緊張度が高い ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ を hart な音,緊張度が弱い ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ を weich な音と呼んでいるわけです。hart な音は「硬音」,weich な音は「軟音」とも呼ばれています。

こう言うと「硬音」=無声,「軟音」=有声のように思えますが,実はかならずしもそうではなく,たとえばドイツ語と同じく無声対有声,硬音対軟音という対立がある英語の場合,⁄d⁄ などの有声音,つまり軟音が,音声環境によっては無声化される場合がある,しかし,それにもかかわらず,筋肉の緊張度の弱さによって,ちゃんと軟音の ⁄d⁄ として認識されるケースがあるそうです*。⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ を区別する際,日本語では声帯の振動の有無が,ドイツ語や英語では発音器官の緊張度が重要な決め手になるわけです。

話がなんだがガクジュツ的になりましたが,もう一つだけ。ドイツ語の ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ は,特に語頭などで強く発音されるとき,その後に呼気を伴います。この呼気を気息とも呼びます。気息を伴った音は「有気音」または「帯気音」と呼ばれ,気息を伴わない音は「無気音」と呼ばれています。音声学の本では有気音の ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ などの右肩に小さな h をつけて,無気音の ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と区別しています。日本語でも語頭で力をこめて発音するとき,たとえば宴会を盛り上げようとして,「さあ,今晩はパーッと行きましょう!」というときなど,「パ」の後にかなり強い気息が続きますが,普通の場合はドイツ語ほど強い有気音ではありません。この気息の強弱も ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ の聞こえ方に関連してきます。たとえば ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ が無気音に近く発音されると,それらは ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ と混同されやすくなります。

「なぜ Dur という名前の語頭音が ⁄d⁄ とも ⁄t⁄ とも聞こえるか」という最初の問いに答えるためには,このように無声対有声,硬音対軟音,有気対無気という三つの要素を顧慮しないといけないのですが,「なぜ」という問題はひとまずわきに置き,きわめて個人的な経験に基づいて,⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ が区別しにくい実例をいくつか挙げましょう。

ウィーンで私が毎日利用していた市電の路線に,Palffygasse という名前の停留所があります。標準発音では[ルフィ・ッセ]でしょうし,綴りを知っているせいもあってたしかにそう聞こえるのですが,車内放送で流れる録音では,なんだか[パ]が[バ]に近く,[ガ]が[カ]に近く聞こえ,全体として[ルフィ・ッセ]とも聞こえます。後半の −gasse は,いくら「カッセ」に近く聞こえても,前々回取り扱ったように,「通り」という意味の有名な単語ですから,なんとなく「ガッセ」に直して聞いてしまいますが,前半の Palffy はそうは行きません。もともとは人名ですから,語頭音をはっきり発音してもらわないとどうしようもありません。『たそがれの維納』のせりふをもじって, „Palffy? Mit hartem P … oder mit weichem B?“ と問い返したくなります。これはどうも語頭の P が,無気音でやわらかく発音されるため,B に近く聞こえるからだろうと思います。

⁄p⁄ と ⁄b⁄ のペアについてもう一つ。Bruckner という名前は,有名な作曲家との関連で昔から知っていましたが,ウィーンで知り合ったお医者さんは,Pruckner という名前でした。どちらとも決めかねる音をそのまま表す文字がないわけですから,やむを得ず B か P かの決断をしてしまったのでしょう。

⁄t⁄ と ⁄d⁄ のペアーに関しては,Tepp と Depp という例も挙げておきましょう。二つとも意味は同じで,「バカ」,「アホ」に当たる罵りの語です。Dur の場合と同じく,これも語頭音がはっきりしないので,表記も二通りに分かれているのでしょうね。

日本語ではふつう,⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ は混同されません。「ダンスパーティー」はありますが,「タンス(箪笥)パーティー」は考えにくく,「パパ」と「ババ(婆)」は違う人ですし,「世の中は澄むと濁るで大違い。ハケに毛があり,ハゲに毛がなし」です。しかし一部のドイツ語話者は,⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ と ⁄d⁄,⁄b⁄,⁄g⁄ の対立を,hart な音対 weich な音の対立,さらには有気音と無気音の対立としてとらえますが,日本語の場合ほど明確に無声と有声の対立としては意識しないようで,その結果,はっきり「ケ」でもなくはっきり「ゲ」でもない音,いわば「ケ°」と聞こえる音が生まれます。この点に関して,内藤好文著『ドイツ語音声学序説』(大学書林 昭和41年)の66ページに次のような記述があります。「中部および南ドイツの方言では [b] を弱い無声音,すなわち [b̥ ] に発音し,[p] も子音の前などでは弱く無気音に発音するので,たとえば Blatt も platt も [b̥latt] になって区別が付かなくなることがある」。さらに同書67ページ,68ページには ⁄g⁄ と ⁄k⁄ ,⁄d⁄ と ⁄t⁄ のペアーについても同様の記述があり,前者については [g̊ ] 後者については [d̥ ] という発音を挙げた後,その都度「このような発音を真似るべきではない・これらの発音はすべて避けるべきである・このような発音をするドイツ人を真似るべきではない」と注意してあります(b と d の下,g の上についている「マル印」は無声化の印です)。[b] が「弱い無声音」に発音され,一方,[p] も「弱く無気音に発音」される,つまりさきほど触れた「今晩はパーッと行きましょう!」の「パーッ」ほどの「帯気」を伴わないわけですから,[b] と [p] は相互に歩み寄って,[b̥ ] という音になるということです。ずいぶん回り道をしましたが,こうしてみると我々の出発点: 『たそがれの維納』の例のシーンでの画家の最初の発言は,上の書き方に従えば [d̥uːr] と記すべき発音だったようで,これに対して指揮者は [tuːr] なのか [duːr] なのかと問い返したということになります。

日本語では ⁄t⁄ 対 ⁄d⁄,⁄p⁄ 対 ⁄b⁄,⁄k⁄ 対 ⁄g⁄ の対立は,語の意味の区別と直結します。しかし ⁄t⁄,⁄p⁄,⁄k⁄ を有気音として発音しても,無気音として発音しても,それによって語の意味が変わることはありません。しかし中国語,韓国語,タイ語などでは,有気か無気かによって語の意味が変わってくるそうです**。もともとは形の定まっていない,連続した音の流れを,どこで,どのような目印で区切って,意味の区別に利用するか,これは各言語によって異なっています。新しい外国語を学ぶ醍醐味は,こういうところにもあるのでしょうね。

* 猪塚元・猪塚恵美子著『日本語音声学のしくみ』(研究社2003年)。96-97ページ参照。なお同書100ページには,無気音と有気音の違いを確認するための面白い実験法が載っています。

** 上掲書101ページ参照。