コラム

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2007/11/08

Nr.18 ドイツ語圏 (9) オーストリア (7)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


前回まで,「ホイリゲ」で使われる Vierterl 「4分の1リットル入りグラス」, Achterl 「8分の1リットル入りグラス」とからめて,ウィーンでよく耳にする縮小の後つづり -erl, -l のお話をしました。話をしているうちに,久しぶりで現地に行ってみたくなり,イースターの休暇にウィーンへ飛んで旧友と落ち合い,ホイリゲで何度か楽しくワインを飲みました。いったん飲みだすとなかなか止まらなくなるのは,洋の東西を問わず酒飲みの通弊らしく,このコラムをちょいと脇において,ホイリゲに長居しすぎたようです。今年の夏の異常な暑さのせいだったのかもしれません。どちらにしてもつい気がゆるんで,ドイツ語圏に関するお話が途切れてしまいました。ようやく涼しくなり,ワインの酔いも醒めたようなので,気を取り直して,途切れた話の糸をまた取り上げることにします。今回はオーストリアの日常生活でしょっちゅう耳にし,目にする表現,しかし標準ドイツ語ではあまり使われないために最初は面食らう表現をいくつかご紹介しましょう。

Dekaカ]「10グラム」(標準ドイツ語: 10 Gramm)
日本語で「デカ」と言いますと,まず「デカパン←デカパンツ」の「デカ」,つまり「でかい」,「大きい」を意味し,あるいは俗語で「刑事」を意味しますが,オーストリアの Deka は Dekagramm 「10グラム」の前半部分だけを採用し,後半の Gramm を省略した形です。略語としては dag と記します。ドイツ人と同じくオーストリア人も肉類などはキロ単位で買うことが多いようですが,日本人は(特に一人暮らしの場合は)ふつうグラム単位ですね。たとえば100グラムは,この Deka 「10グラム」 を単位にして 10 Deka,200グラムは 20 Deka と言えばいいわけです。

Faschiertes [ファーアテス]「ひき肉」(標準ドイツ語: Hackfleisch)
食料品のように日常生活に密着したものほど,各地方でいろいろと異なった名称があります。肉屋さんに行って,ひき肉を200グラム買うとしましょう。せっかく「10グラム」を表す Deka を覚えたんだから,„200 Gramm“ などと言うのはやめて,ウィーン人らしく „20 Deka“ を使ってみようと決心し,„20 Deka Hackfleisch, bitte!“ と言ったとします。こちらの言いたいことはもちろんこれでわかってもらえますが,肉屋さんはたぶん,「郷に入っては郷に従え」ということわざどおり,「ウィーンではウィーンふうに話そう」とするあなたの努力に敬意を払いながらも,„20 Deka Faschiertes?“ というふうに,Hackfleisch を Faschiertes に訂正してから売ってくれるでしょう。 Faschiertes は faschieren 「ひき肉にする」の過去分詞 faschiert を中性名詞化したものです。

Erdäpfelーアト・ップフェル]「ジャガイモ」(標準ドイツ語: Kartoffeln)
ジャガイモはドイツ料理の重要な素材ですが,このような大切な食材の名称もドイツ語圏では各地域によって異なっています。 Erdäpfel (単数形は Erdapfel)は, Erde 「大地」と Apfel 「リンゴ」という2語から成り立ち,同じくジャガイモを意味するフランス語の pommes de terre (原義は「大地のリンゴ」)にも対応する由緒正しい名称です。ウィーンの人々を含む Erdäpfel 派のドイツ語話者は,Kartoffeln こそ奇妙な方言形だと思っているかもしれませんね。

Paradeiser [パライザー]「トマト」(標準ドイツ語: Tomaten)
ウィーンには有名なナッシュマルクトをはじめ,各区域に大きな市場,あるいは市の立つ場所があります。常設のこともあり,または特定の日だけ開かれることもありますが,そこでは新鮮な野菜や果物などを生産者がじかに販売しています。土の香りがするたくましい人々が元気よく農産物を売っているスタンドの間を歩き回り,取れたての野菜に目を楽しませることができますが,そこに記されている名称は標準ドイツ語とだいぶ異なっています。 Karfiol 「カリフラワー」(標準ドイツ語: Blumenkohl),Fisolen 「インゲン豆」(標準ドイツ語: grüne Bohnen), Kohlsprossen 「芽キャベツ」(標準ドイツ語: Rosenkohl)など,以前,私がドイツのマルクトで馴染んでいた野菜が,オーストリアでは違う名称で売られていました。Tomaten 「トマト」もその一例で,私がウィーンに滞在していたころ,つまり1980年代の初めごろは Paradeiser と呼ばれていました。最近ではウィーンでも Tomaten という名称が一般的になり, Paradeiser は次第に使われなくなってきているそうです。地方色が薄れて行くのは残念ですが,「分化」と「統一」という二つの力がともに働きながら,ことばを変えて行くのでしょうから,これくらいのことには目をつぶっておきましょう。

Obersーバース]「(コーヒーに入れる)クリーム」(標準ドイツ語: Sahne)
ウィーンはコーヒーのおいしい所としても知られていますね。いわゆる Kaffeehaus ではさまざまな趣向を凝らした多種多様なコーヒーを味わうことができます。旅行案内書は,これらのコーヒーについてかならず数ページを当てて解説していますから,くわしいことはそれらの記事を参照していただくことにして,ここではコーヒーに入れるクリームが Sahne ではなく,Obers と呼ばれることだけを覚えておきましょう。あわ立てた(schlagen した)生クリーム,いわゆる「ホイップクリーム」は, Schlagobers[シューク・ーバース]と言います(標準ドイツ語: Schlagsahne)。日本の数倍はありそうな Torte にたっぷり Schlagobers を添えて,おいしそうに食べているおばあさんの姿を見ると,微笑ましく思う反面,「すこしカロリーの取りすぎではないか」と,つい,よけいな心配をしたくなります。

Kassaッサ]「カウンター;(入場券などの)切符売り場」(標準ドイツ語: Kasse)
オーストリアのドイツ語には,標準ドイツ語と微妙なところで異なる単語がたくさんあります。違っているところは語形だったり,名詞の性だったり,変化形式だったりなど,いろいろです。標準ドイツ語の Kasse は,オーストリアでは最後の -e が -a になり, Kassa となっています。Kassa のほうが,元来のイタリア語 cassa の原形を忠実にとどめています。合成語の中でも,たとえば Kassastunden 「現金取り扱い時間」,Abendkassa 「当日券売り場」など,そのままの形のまま出てきます。

Gasseッセ]「通り」(標準ドイツ語: Straße)
Gasse 「路地;小路」が,ウィーンでは表す対象がすこし異なり,標準ドイツ語では Straße に当たるような通りを意味することがあります。ウィーンの有名な繁華街ケルントナー通り(Kärntner Straße)が Straße と呼ばれ,そこから左右に分かれる小さな路地,たとえば Walfischgasse (文字どおりには「鯨小路」)が Gasse と呼ばれるのは,標準ドイツ語の語感でもなるほどと呑み込めます。しかし,たとえば Burggasse などは,外環状道路 Gürtel から内環状道路 Ring まで達する,長い,りっぱな道路で,標準ドイツ語ではおそらく Straße と呼ばれるところでしょうが,ウィーンではつつましく Gasse と称しています。

Matura[マトゥーラ]「高等学校(ギムナジウム)卒業試験」(ドイツでは Abitur)
ドイツには Abitur と呼ばれる「高等学校(ギムナジウム)卒業試験」があり,これが大学入学資格試験を兼ねていることはよく知られていますね。この Abitur はオーストリアでは Matura と呼ばれています。名称は違っていても中身は同じです。Abitur も Matura も外来語で,ドイツ語ではともに Reifeprüfung です。Reife 「(大学への)成熟度」の Prüfung 「試験」というわけです。 Matura は英語の mature 「円熟した;成熟する」と同じ語源の語ですから, Reife 「習熟度」の試験という内容を示すためには,Matura のほうが,より適切な名称かもしれません。

標準ドイツ語を学んだ人が,ウィーンにやってきて,最初,ちょっと面食らうような単語をいくつか扱ってきました。これに加えて,以前扱った Jänner 「1月」(標準ドイツ語: Januar), Feber 「2月」(標準ドイツ語: Februar), heuer 「今年は」(標準ドイツ語: dieses Jahr)も思い出しておいてください。しかしこのような単語や言い回しは,数え上げているときりがありませんので,このへんで打ち切ることにしましょう。実は,これらの単語や言い回しにもまさってウィーンのドイツ語を特徴づけているもの,それは発音と抑揚です。次回はウィーンの人々の話すドイツ語について,この観点から改めてお話ししてみましょう。