コラム

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2007/10/12

Nr.17 ドイツ人の科学する心

神品 芳夫 (元明治大学教授・元独検担当理事)


ドイツ人といえば科学や技術に強いというイメージがあるかもしれない。たしかに科学的にものを考える能力には長けていると思うことがよくある。しかしそれは,科学技術の進歩によって新たに生み出されたものにすぐにとびつくということには結びつかないようである。たとえばドイツではテレビの普及が遅かった。開発が遅れていたわけではなく,電波による情報の受信はラジオがあれば十分という考えが広く行き渡っていたからである。テレビの番組構成にしても,午前9時ごろから午後4時ごろまでは放送なしという時代がずいぶん長く続いた。

テレビ放送のもたらす映像の意味が次第に理解されるようになってきたころ,今度はカラーテレビが出回り始めたが,ドイツではカラーテレビへの拒否反応も初めのうちかなり強かった。自宅で映像を見るのにカラーである必要はないという考えのもとに,頑強に買い替えをしない人たちがいた。ドイツの家庭へのカラーテレビの売り込みにはかなり時間がかかったはずである。

蛍光灯も家庭に入り込むには根強い抵抗にぶつかった。蛍光灯は仕事をする場所には具合がよいので,学校や会社,役所では使用されている。蛍光灯のことを Bürolampe と呼んでいる人もいた。しかし家庭でくつろぐときには,あのぎらぎらした蛍光灯はごめんだとの考えから,今でも白熱電球が好んで用いられる。しかしまた最近はオーストラリアから,白熱灯は省エネの見地からなるべく使用を控えた方がよいとの提唱があり,これからどうするか,また慎重に検討されるだろう。

電子レンジなども日本に比べると普及が遅かった。食品に光線が当てられているのが怪しいと思われたからだ。ドイツの市民は業者の言うことは容易には信じない。この光線は健康上心配のないものだという結論が出てから,やっとみんな使い始めた。今では家庭に広く行き渡っている。

それでは何が出てきても慎重に様子を見ているかというと,そんなことはない。コンピュータに対するドイツ人の対応は早かった。携帯電話の普及も他国に遅れを取ることはなかった。それはやはり新しい発明の実効性の大きさを即座に見抜くからであろう。だからといって手放しで採り入れているわけではなく,各事業所では,従業員がパソコンのモニターを見入る時間を健康上制限するなど労使協定できめている。新発明,新製品に対するドイツ人の対応の仕方には,学ぶところが多いのではなかろうか。