コラム

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2007/03/09

Nr.15 W杯を思い出しながら… 回想ドイツW杯06:“友人”を作った国

粂川 麻里生 (慶應義塾大学助教授・独検実行委員)


本当はですね,当然のことですが,昨年のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会の直前と開催期間中に,独検コラムも書き飛ばしたかったのです。現地にも行ってまいりましたし……。ですが,サッカーにまつわる色々な仕事をつい請け負ってしまい,独検コラムを長期間サボることになってしまいました。申し訳ありません。皆様,お元気でいらっしゃいましたか?

日本では,すでに「ドイツW杯」は過去のイベントかもしれませんが,ドイツにとっても,サッカーにとっても,非常に多くの “遺産” を残した大会であったと思います。もっとも重要なのは,あの大会期間中「ナショナリズムの新しい形」が具体的に示されたことだったでしょう。というのも,ワールドカップやオリンピックといった国際的な大イベントでは,ホスト国はつい「俺たちの国はこんなに立派だ」,「こんなに発展してるんだ」,「ここを見てくれ,あそこも見てくれ」ということを様々な形で主張しがちです。しかし,ドイツW杯のスローガンは Die Welt zu Gast bei Freunden というものでした(英語では A time to make friends)。「世界からやって来るお客さんをいかにもてなすか」という, Gast- freundschaft がテーマだったのです。そして,それは見事と言っていい形で,結実しました。

大会期間中,試合開催都市やその他の大都市において,私が目にしたのは,世界中からやってきた人々の楽しそうな笑顔でした。フランスやイタリアといった近隣国ばかりではありません。アフリカ諸国やメキシコ,そして韓国,日本といった,W杯出場国の人々が(出てないけど中国の人たちも来ていました),スタジアムはもちろん,路上や広場,スポーツ・ホール,あるいは大きな廃屋などで催されたパブリックビューイングで,ビールを飲みながら,ピザをぱくつきながら,実にリラックスして試合観戦を楽しんでいたのです。いわゆるフーリガンの姿はまったく見えませんでした。

一方で,もちろん地元ドイツの人々は,自分たちの代表チームを熱烈に応援していました。大都市の道を行き交う自動車の多くには,ミニチュアのドイツ国旗が括り付けられ,中には “Deutschland! Deutschland!” と叫びながら車に乗ってゆく若者たちもいました。こんな「あからさまなナショナリズム」は,戦後のドイツでは憚られるものだったはずです。ついこの間までなら,多少なりとも「危険」な表現とみなされたでしょう。けれども,今回はそういう「ナショナリズム」と,上述の「Gastfreund- schaft」がなんの矛盾もなく両立していたのです。それが可能になる柔かい(そして新しい)「空気」が,ドイツを包んでいました。

この「空気」は,世界中からやってきたサッカー・ファンにも影響を与えました。今までは,ワールドカップにやってきても,自分たちの代表チームにしか関心を示さない人々が多かったのですが(ベッカムやロナウドに熱狂する日本人サッカーファンは珍しい例外のようです),今回のドイツ大会では,ウクライ ナ人とトーゴ人が「メキシコ対ポルトガルはどちらが勝つか」について予想合戦を楽しみ,パブリックビューイング会場でビールを飲み交わしていたのです。彼らは(私たちは!)まさに世界的祭典を楽しんでいました。ナショナリズムはそれとして残りつつ,さらに高次元の心情が共有のものとして成立していました。ドイツにおいて,ワールドカップは一段階高度な Internationalität を獲得したと言えるでしょう。

ご存知の通り,ドイツ代表チームは3位になりました。輝かしい3位でした。現時点でのチームが持つ可能性を十分に展開し,ドイツ国民を驚かせ,熱狂させた戦いの果ての3位でした。「地元チーム」に宿命的に期待される「優勝」ではなかったけれど,ドイツ国民に笑顔を与え,大会期間中にドイツを訪れた外 国人たちや,テレビを見ていた世界中の人々から拍手を受けることができる,幸福な3位だったと言えるでしょう。そして,この「3位」は,大会を通して世界に友人を作ったドイツ国民の達成とひとつのものとしてその「意味」を語られるべきものです。オリンピックはともかくとして,サッカーW杯は今後,このドイツ大会の「成功」をひとつのモデルとして意識し続けることになるでしょう。

ところで,大会期間中,私はサッカーを通じて知り合ったドイツ人作家 Thomas Brussig 氏宅に居候させてもらっていました。東ドイツ出身の Brussig 氏と日本人の私ですが,二人は明らかに「同世代」でした。ペレやクライフ,ゲルト・ミュラー,エウゼビオのプレーに驚嘆し,ボクシングのモハメド・アリを 崇拝し,70年代のロック・ミュージックに陶酔したかつての少年たちでした。このようにして,少しづつ,国境や民族を超えた文化と心情が醸成されていくのかな,と感じた次第です。

Brussig 氏は,私を主人公に一篇の新聞コラムも書いてくれました。ドイツ語の読解練習(2級程度?)に丁度よろしいかと思いますので,よろしければこちらもご覧ください。

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