コラム

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2006/12/20

Nr.12 ドイツ語圏 (6) オーストリア* (4)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


前回は Weißwurstäquator 「白ソーセージ赤道」という単語をご紹介し,ドイツ語圏がこの „Äquator“ 「赤道」(「ほぼマイン川と一致する」)を境にして南北に分かれること,そして南に位置するドイツのバイエルン州とオーストリアが,マイン川以北のドイツ,とりわけ旧プロイセンに属していた諸地方に対して,ときどき国の違いを越えて共同戦線を張ることなどをお話ししました。そろそろオーストリアのドイツ語そのものをご紹介しなければならないとは思いますが,もう少し,ドイツ対オーストリアの話を続けたくなりました。「こうすれば独検に合格する」などという即効性のある話とは縁遠い,まったくの「閑談」ですが,ドイツ語に関する周辺の知識のご紹介というたいへん広い意味で,やがては独検突破の役に立つ…かも知れません。

まずは,いわばオーストリアの人々の自己評価,自己意識とでもいうべきものを,リストの形でお目にかけましょう。オーストリアの人々がドイツ人の特徴と考えるものを列挙し,それと対比して自分たちの特徴と考えるものを列挙した対照リストですが,もちろん,これもまた Vorurteile の産物であることはあきらかです。

ドイツ人 オーストリア人
zielstrebig 「(ある目的に向かって)ひたむきに努力する」 gemütlich 「のんびりしている」
schnell 「早い」 langsam 「のろい」
streitsüchtig 「論争好きな」 friedliebend 「平和を愛する」
modern 「現代的な」 altmodisch 「古風な」
fortschrittlich 「進歩的な」 konservativ 「保守的な」
laut 「大声の」 leise 「小声の」
unsympathisch 「感じがよくない」 sympathisch 「感じがよい」

また,68パーセントのオーストリアの人々が,ドイツ人の優れた才能として, Talent zum Reden 「弁舌の才能」をあげています。これに対し,ドイツ人の Talent zum Essen und Trinken 「飲食の才能」をあげたオーストリア人は45パーセントです。「飲食の才能」というのはかなりあいまいで,「おいしいものをつくる才能」なのか,それとも「おいしいものを楽しむ才能」なのか,はっきりしませんが,いずれにせよオーストリア人はドイツの食事をあまり高く評価していないようです。

以上のリストと数字は,ドイツのある研究者の本からの孫引きです。どうもオーストリア人の目から見ると,「ドイツ人は早口で論争好き,声が大きい。弁舌の才能を持ち,目的に向かってひたむきに努力し,進歩的・現代的だが,どうも好感が持てない」人間というふうに映っているようです。前回ご紹介した Piefke 像そのものですね。他方,オーストリア人は「のんびりしていて,和を乱すことを好まず,悠長で保守的,感じがいい」というのですが,物事をテキパキと効率よく片付けるドイツ人から見ると,これがときには schlampig 「だらしない」と感じられるのかも知れません。

なんどもくどく申し上げますが,以上のことはみな Vorurteile 「思い込み」であり,別な語を使うと Klischee 「決まり文句」であって,両国の人々に例外なく当てはまるわけではありません。しかし,私の狭い交友範囲,限られた経験から言うと,どうもこの Klischee は実際と符合していることが多かったようです。

言葉の使い方に関する両国の人々の対照的な態度は,たとえば両国がインターネットを介して発信しているラジオ番組の内容からもはっきり窺えるように思います。私はほぼ毎日,ドイツの放送局 Deutsche Welle (略称 DW )とオーストリア放送局 ORF のライブ放送を聴いていますが,その内容があまりにも対照的なことをいつも面白く思っています。 DW では,海外向けの報道に重点をおいているせいもあるのでしょうが,定時ごとのニュース,30分ごとの短いニュースがあり,その間は新聞論調,解説,特派員報告等々が放送されます。他方 ORF はのんびりしたもので,たとえば Klassiknacht とか Jazznacht など長時間の音楽番組が,ほとんどアナウンスや解説抜きで流されるほか,私が20年以上も前にウィーンで愛聴していた番組 „Du holde Kunst“ (リルケやホーフマンスタールなど,有名な詩人たちの詩作品の朗読と,その詩にふさわしいクラシックの室内楽を交互に流して構成される,おそろしく高踏的な番組)も相変わらず健在です。ドイツ語では補足語がいらない純然たる自動詞からも受動文を作ることができ,動作,出来事に焦点を当てた表現ができますが,これを利用して2つの放送局の番組編成を対比してみましょう。

Bei DW-Programmen wird ununterbrochen geredet: es wird berichtet, diskutiert und kommentiert, während beim ORF die meiste Zeit nur musiziert, gesungen und gejodelt wird.
「 DW の番組ではおしゃべりが途切れることがない。報道があり,討論があり,解説がある。いっぽう ORF の場合,たいていの時間,聞こえてくるのは,音楽,歌,ヨーデルばかりだ」

この対比では,すこし ORF に辛い点をつけていますが,これは自戒をこめた私の Vorurteil のなせる業です。ドイツ語,ドイツ文学の学会では,ドイツ人,オーストリア人,日本人が参加するシンポジウムがよく開かれますが,そのとき,いちばん活発に意見を述べるのは,たいていドイツ人です。数年前のあるシンポジウムの席上,北ドイツ出身のドイツ人が,てきぱきした標準ドイツ語で,立て板に水よろしく,理路整然と自分の意見を述べたことがあります。その発言が終わった時,私の隣に座っていたオーストリア人は,いかにも感に堪えたように,「いやあ,あざやかだね。おれたちオーストリア人は,とうていあんなふうにはしゃべれない」と,のんびりしたウィーンなまりのドイツ語で私に言い,私はこの言葉に妙に共感してしまいました。しかしそれと同時に,思っていることをあのように整然と表現できる才能,ヘンな言い方をすると混沌に秩序をもたらす才能の欠如をふだんから痛感している私としては,そう無条件にこのオーストリア人の感想に共感しているわけにはいかない,と思ったことも事実です。さきほど「自戒をこめた私の Vorurteil 」と言いましたが,その中の「自戒」という言葉の意味は,このようなことです。

* オーストリア大使館の要請(前回のコラム参照)に応じて,「オーストリー」という日本語表記を採用しようか,とも思いましたが,やはり書きなれている「オーストリア」で話を進めることにしました。