2006/08/22
Nr.8 ドイツ語圏 (3) オーストリア (1)
諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)
ドイツ語圏の主要3カ国として,ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland),オーストリア(Republik Österreich),スイス(Schweiz,正式名称は Schweizerische Eidgenossenschaft 「スイス盟約同盟」)を挙げることには,みなさんも異論はないでしょう。アルプス山脈を越えて北へ,北海,バルト海に向かって広がり,ヨーロッパの中央に位置する地帯です。今回はオーストリアについてのお話を始めましょう。
まずインターネットで,ドイツとオーストリアの国土面積と人口を調べてみましょう。数字はいずれも2004年現在(ドイツ語では Stand: 2004 と記します)のものです。
ドイツ連邦共和国 | オーストリア | |
---|---|---|
面積 | 357 021 km²(世界61位) | 83 870 km²(世界112位) |
人口 | 82 424 609 人(世界14位) | 8 176 258 人(世界88位) |
面倒なので概数で言いますと,ドイツの面積が35万7千平方キロ,人口が8200万人であるのに対し,オーストリアの面積は8万4千平方キロ,人口が820万人です。面積はドイツがオーストリアの約4.5倍,人口はドイツがオーストリアのちょうど10倍ですね。ドイツもオーストリアも公用語としてドイツ語を使っていますが,オーストリアのドイツ語話者はドイツのドイツ語話者の10分の1ということになります。このような数的劣勢のためかどうか,どうも 日本ではオーストリアという国の諸事情があまりよく知られていないようです。
まずオーストリアはよく南半球の国オーストラリアと混同されます。ドイツ語ではオーストリアは Österreich[エースタライヒ],形容詞は Österreichisch[エースタライヒシュ]ですし,オーストラリアは Australien[アウストラーリエン], 形容詞は australisch[アウストラーリシュ]で,字面も発音もまるで違いますから,混同される恐れはありません。しかし日本語では「オ-スト」の後ろに「ラ」があるかないかだけの違いですから,しょっちゅう言い間違い,書き間違いが起こります。英語でもオーストリアは Austria,オーストラリアは Australia で,よく似ていますから,やはり混同が起こります。したがって,オーストリアに手紙を出すときは,「オーストリア/ ヨーロッパ」と,行く先をカタカナで書き添えておくといいでしょう。日本語でオーストリア,または英語で Austria とだけ書いておくと,日本の郵便局の人がオーストラリア,Australia と見誤って,南半球行きの飛行機に乗せてしまう危険があります。
オーストリア自体は知られていないものの,その首都ウィーンは,モーツァルト,シューベルトなどの作曲家によって,また毎年元旦に全世界にライヴで中継されるニューイヤー・コンサートなどによって「音楽の都」としてよく知られていますね。オーストラリアは元来は「南の国」という意味だそうですが,オーストリアは「東の国」という意味です。ヨーロッパ地図を見るとわかりますが,オーストリアは東西に細長い国で,スイスから東に伸びるヨーロッパアルプスが次第に低くなり,ドナウ河と接するあたりが東の端で,そこに首都ウィーンがあります。経度から言うと,ウィーンはドイツのベルリンやドレスデン,チェコのプラハより東にあり,ウィーンからさらに東に40キロほど行くとスロヴァキア,東南に行くとハンガリーに突き当たります。ウィーンに一番近い大都会は,ハンガリーのブダペストです。オーストリア自体,西から東へと,ヨーロッパを横に結んでいますが,ウィーンはその東の端,西ヨーロッパと東ヨーロッパの接点に位置しているわけです。
昔はこうではありませんでした。オーストリアは今とは比較にならないほど大きな国でした。歴史地図を見ると,第一次世界大戦中のヨーロッパの中央にオーストリア・ハンガリー帝国が大きく堂々と記されています。その領土は,今のハンガリー,チェコ,スロヴァキア,およびポーランド,ユーゴスラヴィア,イタリアの一部を含む途方もなく大きなものでした。そしてこの地図の上では,首都ウィーンは帝国の東の端ではなく,むしろ中央から西寄りに位置しているのです。第一次世界大戦が終わり,1918年,最後の国王カール一世が退位して,600年以上にもおよぶハプスブルク家の統治が終わり,オーストリア・ハンガリー帝国の領土にはチェコスロヴァキア,ハンガリーなどの後継国家が生まれ,オーストリアは5000万人以上の人口を持つ多民族・多言語国家から,ドイツ語を母語として話す700万人ほどの人々によって構成されるアルプスの小国になりました。当たり前の話ですが,ウィーン自体はローマの軍事基地ヴィンドボーナであった西暦100年ごろから不動のままですが,歴史の変遷によって,一国の首都としてはちょっと不思議なほど東の端に追いやられているのです。西欧と東欧の接点という地理的な位置,かつての大国からアルプスの小国への移り行きという歴史上の変遷によって,オーストリアで話されるドイツ語には,ドイツ本国と異なるさまざまな特徴があります。このことについては次回,引き続きお話しします。