コラム

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2006/07/21

Nr.7 ドイツの地図を見ながら…(2)

神品 芳夫 (元明治大学教授・元独検担当理事)


ドイツ全体の地勢を見渡すと,南のほうはアルプスに近いので,海抜が高く,北にゆくにしたがってだんだんに低くなり,最後は海に面する。南高北低である。高いといっても,南の国境沿いにつらなるバイエルン・アルプスを別とすれば,国内にはそそり立つような山はない。ゆるやかな起伏をもつ高原が,森林と牧草地の織り成す景観を繰り広げる。深山幽谷といった景色はないが,そういう風景が見たければ,お隣のスイスかオーストリアに行けば,いくらでも見られる。

国際社会には南北問題といわれるものがあるが,ドイツにも,事情こそ違え,南北問題がある。南北といってもいろいろな対立軸があるが,一番分かり易いのはミュンヘン vs. ベルリンないしバイエルン vs. プロイセンである。ミュンヘン子とベルリン子は気質も違えば言葉も違う。十九世紀のルートヴィヒ二世 vs. ビスマルクのときから覇権を争うライバル同士であった。古くから独自の文化を育ててきたバイエルンから見れば,プロイセンは成り上がり国だった。新興国ベルリンにいわせれば,ミュンヘンは近代化の乗り遅れた「いなか」だった。

しかし第二次世界大戦後,しだいに事情は変わった。ベルリンが分割都市という運命を負わされることになり,お互いに威勢よくライバル意識をぶつけ合うような雰囲気がなくなった。その間に,ミュンヘンは国際都市として成長し,オリンピックを開催し,今ではドイツ第一のグルメの都市となった。ミュンヘンは以前, Hauptstadt ではなく Hauptdorf だなどとからかわれていたが,そんな言い方も自然に消えた。ベルリンも統一ドイツの首府の座を取り戻して面目を一新,目下大改装中である。ライバル同士の次のラウンドがいずれ始まることだろう。

たしかに,バイエルン州などドイツの南部地域は農業・酪農が主な産業で,重工業が乏しく,経済発展という面では立ち遅れていた。それに対して,鉄鋼業を中心にドイツの経済発展を支えてきたのが,ルール工業地帯であり,ケルンやデュッセルドルフなどの大都市を擁するラインラント・ヴェストファーレン州であった。ドイツで最も税収入の多い州であり,ドイツの心臓部と呼ばれた。さらにハンザ都市のブレーメンとハンブルクが控え,ドイツの貿易を受け持っていた。ドイツは北が豊かで,南は貧しい,と思われていた。

しかし1970年代あたりから状勢が変わった。産業構造の変化により,鉄鋼業が衰退し,ルール工業地帯にはむかしの面影がない。税収入も激減し,この地域にたくさんできている大学は財政難で苦しんでいる。さらに,貨物輸送の多角化が進んで,ブレーメン,ハンブルクの貿易量も減少している。一方,新興のエレクトロニクスやバイオ技術関連の産業は主として南ドイツ方面に誘致されて,発達している。自動車産業も,なぜか南ドイツで盛んである。現在は南ドイツが栄えているが,北ドイツは往時の勢いがなく,風力発電や環境産業に活路を見いだそうとしている。まさに,栄枯盛衰は世の習いである。