コラム

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2006/03/16

Nr.1 ドイツ語圏 (1)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元出題委員)


日本のドイツ語教科書には,かならずと言ってもいいほど出てくるいくつかの例文があります。たとえば
1. 「彼は2年間ドイツに滞在し,○×大学でドイツ文学を学んだ。」
2. 「彼女はドイツ語を学ぶため,あすドイツへ出発する。」
などの例文です。教科書を編纂する立場の人間から見ると,こういう例文がどの辺で出てくるかだいたい見当がつきます。1.は動詞の3基本形,つまり不定形(不定詞),過去形(過去基本形),過去分詞が終わった段階で出てきそうです。2.は英語の in order to に当たる um … zu +不定形「…するために」を教えるためにひねり出した例文だということがミエミエです。今まで主文(主節)だけだったが,ここいらでそろそろいわゆる副文(従属節)を導入し,主文と副文から成る長い複合文を出そうかと思案しているところです。教科書が三分の一くらい終わったころでしょうか。

こういう文法を教えるための例文,どのような文法事項を教えたいかという編纂者の下心が透けて見えるような月並みな例文,悪く言えばおざなりな例文の功罪についてお話しするのは,また別の機会に譲ることとして,今回は違った観点からさいしょの二つの例文を見てみましょう。

まず二つの例文で言われていることはまさに正しいことで,その正しさ,現実性には何の疑いもさしはさむことはできません。ドイツ語を現地で学び,長い歴史を持つドイツ文学研究を現地で行うためにドイツへ行く…これはいかにももっともなことです。しかしドイツ語,ドイツ文学を学ぶためにはドイツに「出発」し,ドイツに「滞在」する以外の可能性はないのでしょうか。もちろん,そうではありませんね。オーストリアに「出発」し,たとえばウィーンやインスブルックに「滞在」したっていいし,スイスに「出発」し,そのドイツ語圏,たとえばチューリヒやバーゼルに「滞在」してもいい,なんだったらイタリアの南チロル,ベルギーの東部へ行ってもいい,あるいはかなり突飛ですが,南アメリカや北アメリカのドイツ系住民のところに「滞在」してもいいでしょう*。とはいえ「なんだったら」以下はすこし特殊ですから,今回はこれ以上お話ししないことにします。

次に二つの例文のドイツ版を考えてみましょう。1.は「彼は2年間日本に滞在し,○×大学で日本文学を学んだ。」であり,2.は「彼女は日本語を学ぶため,あす日本へ出発する。」でしょうね。ドイツ語の場合と同じく,日本語の場合も,ハワイや南アメリカなど,日本以外の国にも日本語を話す集団が存在しています。しかし日本語,日本文学を現地で学ぶために選ばれる場所としては,やはり日本が他の国を圧して断然トップでしょう。日本語,日本文学の場合は迷う余地のない選択が,ドイツ語,ドイツ文学の場合には,そうあっさり下せない,すくなくとも,三つの国が候補に上るということになります。ドイツ語は別にドイツ(=ドイツ連邦共和国)だけで話されているわけでなく,オーストリア,スイスの大部分でも母語として話されているというわけです。

このドイツ語圏が,国境を越えた一つの統一的な文化圏をなしていることは,よく指摘されます。人によっては, Nation 「国民」を Kulturnation 「(共通の文化によって結ばれた)文化国民」と Staatsnation 「(共通の国家によって結ばれた)国家国民」とに分け,その上でたとえば「スイスの例が示すように,一つの Staatsnation の内部に,異なるいくつかの Kulturnation に属する人々が生活していることもある」とか,「オーストリアとドイツは二つの Staatsnation であるが, Kulturnation としては一つである」というような,取りようによってはオーストリア人の神経を逆撫でするようなことを言う場合があります**。いずれにせよ,この統一性はドイツ文学の領域では,伝統的に守られています。たとえばドイツ文学のアンソロジー,「ドイツ抒情詩傑作選」とか「ドイツ短編小説集」というようなたぐいの本には,狭い意味のドイツ人の作品と並んで,オーストリアやスイスの人々の作品も自明のように収録されていますし,ドイツ文学史上の特徴的な作品群,たとえば教養小説を論じる場合にも,別に国の違いを意識することなく,三つの国の詩人の作品が取り上げられます***。この限りでドイツ文学,ひいてはドイツ語は,ヘンな言い方ですが,インターナショナルなもの,国境を越えた一つの文化圏を構成する要素であり,なかなか日本の国境を越えない日本文学,日本語とはすこし違うと言えるでしょう。(続く)

* アメリカ合衆国のドイツ系住民のあいだで母語として話されるドイツ語については,次の記述を参考にしてください。「実際,オースチンの近辺だけでも,何とかブルクという名前をもった町が数か所あり,その他にも何とかハイムとか何とかホフといった地名が多い。ビールもドイツ名のものがおいしいという話だった。単に地名だけでなく,ある町では六割以上がドイツ系住民とかで,そういう町へ行ってみるとまるでドイツの町の一劃のようにドイツ語名の看板が並び,バーなどのたたずまいも,何かテキサス風とはちがった風情を感じさせた。またドイツ系住民の業績をたたえる記念碑もドイツ語で書かれていた。大学や研究所以外ではドイツ語が通じるなどと予想もしなかったのはこちらがうかつだった。」(山田小枝:「テキサスのドイツ語」,『ラテルネ記念綜輯号(1)』所載,同学社1984)

** Friedrich Meinecke: Weltbürgertum und Nationalstaat, Oldenbourg, München 1963

*** 教養小説の近代の代表作として,ゴットフリート・ケラーの「みどりのハインリヒ」,アーダルベルト・シュティフターの「晩夏」,トーマス・マンの「魔の山」がよく挙げられますが,ケラーはチューリヒ生まれのスイス作家,シュティフターはボヘミア生まれのオーストリア作家,マンは北ドイツのリューベック生まれのドイツ作家です。