コラム

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2018/11/06

Nr.54 後置される前置詞,そして再びカフカの謎?

富山 典彦(成城大学教授・独検実行委員)


ドイツ語と英語がインド=ヨーロッパ語族のなかの西ゲルマン語に属していることは,ドイツ語を学び始めた人でも知っているでしょう。ですから基本になる単語,例えば Vater と father,Mutter と mother のように似ているものがたくさんあります。

また,英語の bring の過去形と過去分詞は brought ですが,ドイツ語の bringen の過去基本形は brachte,過去分詞は gebracht です。英語を習い始めたころ,どうして発音をしない gh がついていると不思議に思った人もいたことでしょうが,これで解決ですね。

こういうゲルマン語由来の単語のほかに,古代ギリシャ語やラテン語から入ってきた単語もたくさんあります。これらの単語は,例えば,Psychologie と psychology,Kalender と calendar のように,ドイツ語と英語はよく似ています。注意しなくてはならないのは,綴り字は似ているけれども発音が違っていることです。とくに,アクセントの位置がドイツ語と英語とでは違っているので,これらの単語は独検の発音問題の定番です。

近代語の中では,フランス語からドイツ語や英語に輸入された単語,例えば Familie と family, Nation と nation のように,似ているけれども発音が違っているものがたくさんあります。これらも独検の発音問題では要注意です。

今回もなんだか前置きが長くなってしまいましたが,前置詞について少し考えてみたいと思います。ドイツ語と英語が西ゲルマン語に属しているということは,基本的な単語だけではなく基本的な文法事項も似ているということになります。その一つの例が前置詞ということになるでしょう。

ドイツ語と英語には,in のようにまったく同じ前置詞がありますが,まったく同じではなくても bei と by,unter と under,über と ober のように,語源が同じだということがすぐにわかるものもたくさんあります。ドイツ語の durch と英語の through のルーツが同じだとわかるようになれば,もうあなたはドイツ語通ですね。

ただし,英語の by bus がドイツ語では mit dem Bus になったりするように,対応する前置詞をそのまま置き換えることはできません。それどころか,英語の by とドイツ語の bei の語源が同じだとしても,基本的意味も違えば使い方もまったく違います。

また,英語には目的格はあるもののドイツ語のような3格と4格がないために,前置詞の格支配ということはありません。ドイツ語で前置詞を学ぶときには,まず前置詞の格支配をきちんと覚えなくてはなりません。前置詞を格支配で分類すると,2格支配の前置詞,3格支配の前置詞,4格支配の前置詞,3・4格支配の前置詞の4種類になりますが,前置詞の格支配については次回の話題にすることにして,そもそも前置詞というのは,なぜ前置詞と呼ばれるのでしょうか。答えは簡単,名詞や代名詞の前に置かれる品詞だからです。前置詞に格支配ということがあるのも,それでよくわかりますね。

しかし,3格支配の前置詞である gegenüber と4格支配の前置詞である entlang は,例えば

Dem Rathaus gegenüber steht die Kirche.
市庁舎の向かい側に教会が立っている。
Den Fluss entlang stehen Kirschbäume.
川に沿って桜の木がはえている。

のように,名詞のあとに後置されるものがあります。もちろん,gegenüber dem Rathausとかentlang den Flussと言ってもかまわないのですが,後置したほうが語調がいいので,よく後置されます。名詞の前に置くから前置詞なのに,名詞のあとに置かれる前置詞があるのですから,これは形容矛盾でする。

ここで,このもうひとつ,なぜかわからないけれども後置される前置詞を紹介します。それは3格支配の nach です。

Nach dem Essen fahren wir nach Essen.
食事のあとで私たちはエッセンへ行きます。

のように,「~のあとで」と「~(地名)へ」というのが nach という3格支配の前置詞の基本的な意味で,この意味で用いられるときに後置されることはありません。

ところが,meiner Meinung nach「私の考えによれば」のときだけは,後置されることが多いのです。ぼくは卒業論文のテーマにカフカの『城』Das Schloss を使いました。一応原文で読んだのですが,読むたびに新しい発見のようなものがあり,どうまとめたらいいのか迷ってしまいました。そのときふと,meiner Meinung nach という言葉がいたるところに出てきていたことに気づき,それがぼくを導いてくれたのでした。

K.という名前の男性が,橋を越えてある村にやってきて,酒場で一晩眠ろうとしていたら,村の上の山にある城の役人がやってきて,許可がなければこの村に泊まることはできないと言ったので,そのK.という正体不明の男は「自分は測量技師として城から招かれた者である」と主張したのでした。測量技師と名乗るK.は,城に入っていこうとさまざまな努力をするのですが,そのひとつが,城と何らかの関わりのある村人たちと話しをすることなのです。村人たちは,自分と城との関わりについてを語るとき,決まり文句のように meiner Meinung nach が出てくのです。

「私の考えによれば,……」の「……」の部分をつなぎ合わせると,城の実体が現れてくるのでしょうか。少なくともK.の耳を通して,われわれ読者はその「……」を聞き続けるのですが,いつまでたっても,山の上にあるはずの城は見えてこない……それがカフカの未完の長編小説の「筋」と言っていいでしょうか。