コラム

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2008/01/28

Nr.20 ドイツ語圏 (10) オーストリア (8)

諏訪 功 (一橋大学名誉教授・元独検出題委員)


みなさんは,古い古いオーストリア映画『たそがれの維納(ウィーン)』をご存知ですか。手元にある DVD* の解説には,「1934年オーストリア映画。同年ヴェネチア国際映画祭最優秀脚本賞」とあります。70年以上も昔の作品です。しかも「ワルツとワイン。さんざめくウィーン社交界の夜」といううたい文句からも察しがつくように,制作の時期からさらに数十年さかのぼった1900年前後,いわゆる「世紀転換期」,オーストリアがまだ帝政だった「古き,よき時代」のウィーンを舞台にくりひろげられる,甘い甘い恋物語です。20世紀から21世紀への世紀転換をつい先ごろ迎えた我々にとっては,なんとも昔の映画で,トーマス・マンが長編小説『魔の山』の序文で用いている言い方に従えば,「もうすっかり歴史の青さびに覆われている」(schon ganz mit historischem Edelrost uberzogen)作品と言えるでしょう。しかし保守的・退嬰的で,昔を振り返るのが好きな私などには懐かしい映画で,こういう作品に今でも接することができるというかぎりでは,現代の複製技術の進歩に感謝したくなります。

この映画の筋,登場人物,俳優たちについてお話を始めると,止めどがなくなりますが,一つだけ。この映画には,前々回のコラムの最後でちょっと触れた süses Mädel 「かわいい女の子」も登場しますが,この役を演じた女優パウラ・ヴェセリー(Paula Wessely),この映画制作のころは25歳前後だったと思いますが,それから半世紀ほど経った1980年代初め,最晩年の彼女の出演する芝居を,私はウィーンのブルク劇場で見ています。たしかライムントのメルヒェン劇でした。スポットライトを浴びて彼女が舞台に現れると,客席全体にざわめきがひろがり,それはなんだか演劇史の生き証人を目の当たりにした感激のような感じでした。私も,彼女の姿を見,映画でなじんでいたあの含みのある声が聞こえてきたとき,やはり一種の戦慄をおぼえたことを思い出します。

ついでにもう一つ。『たそがれの維納』の前年に制作された『未完成交響楽』という映画があります。題名の示すとおり,シューベルトを主人公とする音楽映画で,同じく日本のオールドファンにとって懐かしい作品ですが,この映画でシューべルトを演じた俳優 Hans Jaray が,やはりそれから半世紀ほど後,ヨーゼフシュタット劇場(Theater in der Josefstadt)で,シュニッツラーの世話物に出演した最晩年の姿も記憶に残っています。

年寄りが昔話をすると,どうもブレーキが利かなくなり,話をどのような方向に持って行こうとしているのかわからなくなりますね。気を取り直しましょう。今回は,ウィーンで話されるドイツ語の音,抑揚の話をするお約束でした。

さて,映画『たそがれの維納』でパウラ・ヴェセリー演ずる女性は, Leopoldine Dur という名前ですが,この Dur は,普通名詞としては音楽用語で「長調」という意味です。たとえば「ト長調」は G-Dur です(ついでながら「短調」は Moll,「ト短調」は g-Moll)。映画の1シーンで,あるスキャンダラスな絵のモデルになった女性の名前を明らかにするよう迫られたひとりの画家が,名前を問い詰める相手(宮廷歌劇場,今のウィーン国立歌劇場の指揮者という想定になっています)が偶然持っていた楽譜の表紙に大きく記されていた Dur 「長調」という文字を見て,行き当たりばったりに Dur という名前を挙げます。画家はまさかこんな名前の人はいないだろうと思って,「絵のモデルは Fräulein Dur という女性です」と答えるのですが,思いがけず実在していた Dur さん,この Leopoldine Dur 嬢はこの偶然のため,ウィーン社交界のスキャンダルに巻き込まれます。このシーンで音楽家と画家との間で次のような問答が交わされます。

指揮者: Dur? Mit hartem „T“ oder mit weichem „D“?
画家: Mit weichem „D“.

こういう会話は,映画の字幕翻訳者,いわゆる字幕屋さん泣かせでしょう。限られた字数で,ここに含まれているかなり込み入った内容を再現するのは至難の業で,私の持っている DVD の字幕翻訳者も,別な言い方でうまく切り抜けています。しかし我々にはべつに字数の制限があるわけではありませんから,この会話をゆっくりと分析してゆきましょう。

まず,Dur ですが,これは画家が考えたとおり,そしてまた指揮者がすぐには理解できなかったとおり,ドイツ語圏でもそうざらにある名前ではありません。辞書出版で有名な Duden の Familiennamenbuch 『姓氏辞典』(Mannheim 2000)にも, Dur という姓は載っていません(ただし Dur と対をなす Moll は,音楽用語の「短調」とは関係がないようですが,とにかく載っています)。指揮者は今まで聞いたことのない Dur という名前を耳にして面くらい,しかも画家が Dur の最初の音を T とも D とも聞こえる音で発音したため, Tur なのか Dur なのか画家に尋ねたわけですね。

ところで,ドイツ語の ⁄t⁄ と ⁄d⁄ の対立,日本語の場合は清音「ト」と濁音「ド」の対立は,ドイツ語話者にとっても,我々日本人にとっても,べつに難しくないように思われます。授業でも習ったとおり,調音点も,発音の仕方も同じで,違いはただ,[t] を発音するとき声帯が震えないのに対し,[d] の場合は震えることですね。のどを押さえながら Tur,続いて Dur と発音してみてください。Tur の場合には振動しなかったのどのあたりが, Dur のときは最初からはっきり振動するのが感じられるでしょう。声帯の動きを伴わないで発音される [t] のような音は「無声音」,声帯の動きを伴って発音される [d] のような音は「有声音」と呼ばれています。形容詞「無声の」は stimmlos,「有声の」は stimmhaft です。「無声」対「有声」という目印だけで区別される音は,⁄t⁄ 対 ⁄d⁄ のほかに,⁄p⁄ 対 ⁄b⁄,⁄k⁄ 対 ⁄g⁄ などがあります。どちらかというと学術語である stimmlos とか stimmhaft を,今回のような会話で使うとなんだかこっけいなのですが,指揮者は Dur なのか Tur なのかという質問を,次のように言うこともできたはずです。

指揮者: Dur? Mit stimmlosem „T“ oder mit stimmhaftem „D“?
画家: Mit stimmhaftem „D“.

指揮者: Dur? 無声の „T“ ですか,それとも有声の „D“ ですか?
画家: 有声の „D“ です。

指揮者の質問のそもそものきっかけは,画家が語頭音を ⁄t⁄ とも ⁄d⁄ とも聞こえる音で発音したことですね。この語頭音をいちおう ⁄T⁄ と表しておきましょう。この ⁄T⁄ が無声音として発音されると ⁄t⁄,有声音として発音されると ⁄d⁄ になるわけです。しかし この語頭音 ⁄T⁄ が ⁄t⁄ なのか ⁄d⁄ なのかを確認しようとするとき,指揮者は「無声(stimmlos)なのか有声(stimmhaft)なのか」という問い方ではなく,「硬い(hart)」のか「柔らかい(weich)」のか」という問い方をしています。 stimmlos 対 stimmhaft という対立に, hart 対 weich という対立が対応しているわけですね。さてこの問い方のうらに潜む発音の実態やいかに…というところで,今回のお話はやめておきます。

* 『たそがれの維納』──世界クラシック名画100撰集(総監修 淀川長治 ⁄ 株式会社アイ・ヴィー・シー)より